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 同じ一つのお祭りにも、種々相があるのです。(1)人が主催する、伝統行事としての、どんちゃん騒ぎのお祭りです。それなりの楽しさはあっても、人心の救済にはほど遠いものです。(2)救済の神々が主催する、大きな目的と意義のあるお祭りです。人心の救済と同時に、世界平和への大きな歩みとなる、魂の底から喜びが溢れるお祭りです。(3)宇宙絶対統一神が直々に主催する、神と人とが交流して、神我一体と成る為の、いのちの奥底から法悦の湧き上がるお祭りです。天照大御神との対面です。天の岩戸開きです。本当の世直し・世界維新です。

 人は自分の自由意志で、どのお祭りにも参加できるのです。ただ感謝と奉仕の程度に比例した、自分の心に波長の合った、お祭りに参加することになるのです。同じお祭りであっても、参加する人の心構えの違いによって、神さまの助けの受け方に、雲泥万里の差が生ずるのです。遠路はるばると参加するだけの、大きな価値と意義のある、本当のお祭りに参加する必要があるのです。その為には正しい目的と正しい心構えを持つことが大事なのです。

 人と人との交流、横の交流だけでは、新たなプラスは加わって来ないのです。マイナスを含めた、小さなプラスのやりとりだけで終わるのです。人と神との交流、縦の交流によって、新たなプラスが大きく降り注ぐのです。人と人との横の交流も、人と神との縦の交流も、お互いに感謝し合い・奉仕し合うことによって、プラスの交流が起こるのです。感謝と奉仕の無いお祭りになっては、マイナスを増幅するだけです。

 宇宙絶対統一神・天照大御神と対面する為には、真剣さが必要です。『いのちがけ』の感謝、『いのちがけ』の奉仕に明け暮れるようにならなければ、天照大御神を感受できる心にはなれないのです。『無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!』の天照大御神を感受する為には、灼熱の炎の中に飛び込むだけの、勇気と真剣さが必要なのです。いのちも何も要らないと言えるだけの、一大勇猛心を奮い起こさなければならないのです。

 太陽を見たからと言っても、自分が太陽に成れたわけでは無いのです。太陽に成る為には、自分のすべてを太陽に与え尽くして、自分を消し切らなければならないのです。神さまの大きな光を感じたからと言っても、自分が神さまに成れたわけでは無いのです。神さまに成る為には、自分のすべてを捧げ尽くして、神さまへの絶対奉仕に生き続けなければならないのです。そして自分が完全に消え去った時に、神さまが現前するのです。

 神さまへの絶対奉仕に生きるとは、神さまの御心のままに生きることです。神さまの目的を自分の目的とし、神さまの願いを自分の願いとするのです。一切の自分の願いを出してはならないのです。我の心を微塵も出せないのです。例えば「神の御心を示し給え」というのは、我の願いになるのです。自分の方から、いのちがけで・真剣に、神の御心を汲み取ろうとしなければならないのです。また「神の御心のままに動かし給え」というのも同じです。神に命令しているようでは、大きな我の心になるのです。自分の方から、神の御心を汲み取って、真剣に動き出さなければならないのです。

 神さまは人の自由意志を絶対に縛って来ないのです。人は神の奴隷・操り人形になっては間遠いです。人は完全な自由を保ちながら、神の意志に一致してゆかなければならないのです。どこまでもどこまでも、神の意志に完全に一致するまで、精進努力し続けるものなのです。永遠に終わりが無いからこそ、神さまの偉大さが実証されるのです。行き止まりの無いのが、無限の無限が、本当の神さまの御心なのです。