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 天岩戸前の行事は 実に尊厳無比の大神事であり、それぞれの神々がそれぞれの任務を担って、至誠をもってこれに当たり、あらゆる知恵を絞り、献身的にそれぞれの働きに従事しているのである。

 天宇受売命の役目は、天児屋命の布刀詔戸言を単に命一神の唱え言に終わらせずに、集える八百万神の異口同音の大合唱にまで移し、その大合唱を統制し、指揮することである。

 天宇受売命が槽を伏せて積み重ね、その高き壇上に登り、足でドンドンと槽を踏み鳴らしたのは、衆目を一身に集めるためである。
 手にする小竹葉(ささば)は、音頭を取るためのタフトであり、更に小竹葉を揮るだけでは不足で、足を高く挙げて足拍子を取り、更には天宇受売命の全身が大なる指揮棒となって、八百万神の一斉合唱の指揮を取ったのである。

 八百万神の大合唱は自然に調子が高まり、それにつれて指揮者の態度も自然に熱狂的に成ってゆき、指揮者が熱狂するので合唱者が熱狂に導かれ、合唱者が熱狂するので指揮者がますます熱狂に導かれて行ったのである。
 天宇受売命は全く自己を忘却し尽くして、無我無心の状態に成り切っていたのである。この状態が神懸である。
 全く装(なり)振(ふり)構わず、自己が妙齢の婦人であることも忘却し尽くして、半裸体の状態から自然に全裸体に近い程の状態にまで成って踊り狂ったのである。

 高天原の極の相は、荘厳無比の絶大なる一大交響楽の世界である。その神律に調子拍子が合致したときにこそ、始めて高天原の極の相に感応することができ、神秘力が発現し、高天原を瑞動させることができるのである。高天原を瑞動させるためには、一神の祈祷のみでは不足で、八百万神の真実の祈りの一大合唱が是非とも必要な条件なのである。

 高天原の瑞動は、即ち、天照大御神の瑞動であり、歓喜であり、目覚めであり、無限無量の光明の発伸であり、暗黒界の退散であり、光明界の到来であり、天照大御神の御出現である。

 八百万神が笑ったのは、天宇受売命が全裸体に近い状態で踊り狂ったからでは無く、高天原が瑞動したから笑ったのである。高天原が瑞動すれば、八百万神の心中に無限の歓喜が湧き出てくるのである。
 “ありがとうございます”の感謝三昧の極の相が、“アハハハハ・・・”という笑い(和来)であり、完全平和・大調和の相の出現である。すなわち天照大御神の御心(真・善・美・聖)が全大宇宙に花開く(咲う)のである。