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 天地を貫く光の柱の立つ所は、神さまの助けが瞬時に降りる所です。すべての番組・次元の間の扉が開け放たれているので、神さまも自由に働けるのです。どの番組・次元に在っても、感謝一筋に生きれば、的確に必要な助けを受けることができるのです。さらには自分を与え尽くすことによって、より高い番組・次元へと移行することができるのです。感謝の心・与える心を生きれば、神さまの助けを受け易い・高い番組へ昇華し易い反面、感謝を忘れ・求める心を生きれば、瞬時に下へ転落することも可能なのです。思い通りに・願い通りに成らないということは、思いを積み重ねなくて済むし、思いを消し去ってもらえるのです。また低い番組へ落ちて、謙虚になれたら、感謝できるようになるのです。感謝を忘れて高い番組に止まるよりも、低い番組に落ちても感謝できるようになる方が、幸せへの最短コースを歩んでいるのです。だから光の柱の立つ所は、いつも神さまの助けが大きいのです。

 光の強い所では、感謝の心の自分は、上へ上へと昇り易いのです。ところが思いの心の自分は、強い光からは逃げようとするのです。消されると困るので、下へ下へと逃げてゆくのです。感謝に生きれば、感謝の深い自分に成ってゆくのです。思いに生きれば、思いの厚い自分に成ってゆくのです。一瞬一瞬どちらの生き方を選ぶかによって、それは決まるのです。一瞬一瞬感謝の自分を選び続けたら、本心(感謝の心)の自分が大きく輝くのです。真剣になれば、徹底すれば、本心(感謝の心)の自分を選び続けることができるのです。自分の責任で、自分の自由意志で、自分自身が選ぶのです。

 感謝の自分は必ず、恩返しの心・与え尽くす心を生きるのです。感謝の心と与える心とは一体の心です。感謝の自分は決して、求める心を起こさないのです。求める心は起こらないのです。もし一寸でも求める心が顔を出したら、感謝を忘れ、思いの自分を生きているのです。思いの心と求める心とは一体の心です。真(まこと)の神さまの助けとは、思い通りに成ることでは無いのです。逆に思い通りに成らないのが、願い通りに成らないのが、真(まこと)の神さまの助けなのです。思いの自分から感謝の自分へと、求める心の自分から与える心の自分へと、変化させてくださるのが、真(まこと)の神さまの助けなのです。

 真(まこと)の神さまの前に立つ時は、求める心・思いは無用なのです。感謝の心・与える心で、真(まこと)の神さまに相対せば、幸せは無限に無限に大きく成るのです。真(まこと)の神さまの働きは、古いものを破壊し・消し去って来るのです。思いの心で執着して掴んでいるものを、すべて消し去って来るのです。その後へ本当に必要なものを、新たに新たに与え続けてくださるのです。真(まこと)の神さまは、思いの自分にとっては、閻魔大王よりも恐ろしいものです。