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人間の心を大きく分けると、“本心”と“業想念”の二つに区別される。“本心”をさらにこまかく分類してみると、“宇宙神の心、直霊の心、分霊の心、守護神の心、守護霊の心”の五つに区別される。また仏教の十界について見てゆくと、“声聞界の心、縁覚界の心、菩薩界の心、仏界の心”の四つに区別される。“業想念”に属するものとしては、“幽体界の心、肉体界の心”の二つが含まれ、また“地獄界の心、餓鬼界の心、畜生界の心、修羅界の心、人間界の心、天上界の心”の六つが含まれる。

 “真実の人間”の心は、この本心(プラスの心)と業想念(マイナスの心)の二つの心を自己の内に大きく包容して、マイナス無限大からプラス無限大に至る無限の無限の表現を、深い深い感謝の心で味わうことのできる大きな大きな心である。業想念に巻き込まれて流されず、光の世界に住して光に把われず、マイナス無限大の地獄界の心の表現をも感謝の対象にして、そこから一段一段感謝を積み重ねて、それぞれの表現を楽しみ、プラス無限大の極に実在している天照大御神(宇宙絶対統一神)の大光明遍照の相を大きく浮かび上がらせてしっかりと把握してゆくのである。

 心の全体をしっかりと自己の内に収めて、それを冷静に観ている自分こそ本当の“真実の自己”なのである。一部分だけをつかんで、それに把われて小さな自分になっているのは、単なる錯覚であり、自覚の欠乏に過ぎないのである。想念感情を自分であると思い違えて、想念感情に把われ巻き込まれて、想念感情をどこまでも積み重ねてゆくと、いつの間にか地獄のどん底にまで落ち込んでゆくものである。例えば、“ひどい仕打ちをされた! ああ憎らしい! 憎らしい! 憎らしい! ・・・・・・・”と思い続けたとすれば、その人は必ず地獄にまで落ち込むことができるのである。また“あれが欲しい、これが欲しい、”と欲望を満足させるために思い続けたとしたら、その人はいつの間にか餓鬼道にまで落ち込んで苦しむに違いない。

 人間にとって最も大切なことは、常に感謝を積み重ねると言うことである。どのような立場・どのような境遇に置かれても、そこで徹底感謝の努力を積み重ねることである。どんな極悪非道の鬼でも、徹底感謝され続けたとしたら、いつかは鬼の仮面を剥いで、仏の慈悲深い姿を現わさずにはおれないにちがいない。徹底感謝行こそ、プラス無限大の極の天照大御神(宇宙絶対統一神)を拝み出し、その姿を感じ取れる自分になる唯一絶対の道なのである。