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 「人に迷惑をかけない。自分のことは自分でする。余った力で人の手助けをする。」、「報恩感謝の心で恩返しする。生活の自立を計る。他の生活を支え育てる。」、これらは人としての当然の責務である。その為には粉骨砕身・一所懸命・献身的に働かなければならないのである。そうすることによって利己的な自我が消え、愛他的な本心の心が目覚めてくるのである。自己中心的な考えを捨て、自分の幸せは後回しにして、周囲の人の幸せの為に、自分を犠牲にして働くことは、本心の自分に戻る為の第一歩なのである。業想念の自分勝手な願いを捨て切ってこそ、他の幸せの為に自分のすべてを捧げ尽くし・与え尽くしてこそ、本心の自分に戻り易くなるのである。本心の立場に戻りさえすれば、自分の幸せに必要なものは既に豊かに与えられていることに気付くのである。そしてその幸せを、深い感謝の心で自然に受け入れることができるのである。業想念の心であれこれ考える暇があっては、本心の自分に戻り難いのである。そうした暇を作らないようにする為にも、他の幸せの為に一所懸命に働くということが大切なのである。

 このような自分を捨て切った生活の上に立ってこそ、真実の祈りの生活は築かれてゆくのである。真実の祈りは、本心(神)の自分に戻る為のものであり、本心の自分を生きる為のものであり、他の幸せを実現する為のものであり、神さまの御心を顕現する為のものである。小さな自分の安逸を貪る為のものであったり、自我の欲望満足に利用する為のものであっては、その祈りは真実の祈りでは無いのである。真実の祈りは、観念の遊戯や気休め的なものでは無いのである。真実の祈りは、自分のいのちを、自分のすべてを、神さまに捧げ尽くすことなのである。自分のこの世のいのちが今の一瞬でお終いになるかも知れないのである。この命懸けの・真剣な・死ぬか生きるかの大事な時に、居眠りをしていたり、雑念に囚われている余裕など微塵も無い筈である。自分のいのちを無条件で神さまに捧げ尽くしてこそ、神さまから永遠のいのち(本心の自覚)が与え返されるのである。小さな自我の一切を神さまに捧げ尽くして、神さまの無限の力によって、その小さな自我を本心の自分と置き換えてもらってこそ、本心(永遠の生命)の真実の心の安らぎが訪れて来るのである。

 真実の祈りは、宇宙絶対神の御心のままに、自分のすべてを捧げ尽くして生きることである。布施(財施・法施・無畏施)行に徹することである。自分に与えられ・預けられているすべての能力・物を生かし切ることである。自分に知らされ・教えられた真理を、必要な人々に積極的に伝えることである。宇宙のすべてを、絶対神の全徳の無限の無限の輝きそのものとして、光一元に礼拝し感謝することである。