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 真実の幸福を得るためには本心の自分を自覚し、本心の自分を生きることが大切である。本心の自分を忘れて、想念感情の業の心を自分の心であると錯覚し、つかんでいては、真実の幸福は決して自分のものにはならない。業の心を一時的にいかに喜ばせ満足させようとも、それらはすべてはかない空しいものであって、やがては必ず四苦八苦するものばかりである。例えば、肉体が自分であるという業の心の考え方にとらわれると、必ず死の恐怖が襲ってくる。もし医者から“あなたの生命は後三ケ月の寿命です”と言われるだけでも大きなショックを受ける。肉体の寿命は一応運命として定められているのに、その死ぬ日が明日かも知れないのに、いつまでも生きていたいと願うのである。肉体の死を予測するだけで苦しみ悩み、肉体の死に出会うとこれ以上の不幸は無いと嘆き悲しむのである。肉体は必ず死ぬのである。寿命が来れば必ず死んで灰になって消えて無くなるのである。今日死んでも、百年後に死んでも死んで灰になるのは同じなのである。肉体を自分であるとつかむ心では、仮に百年生きることができたとしても、死に対する恐怖・苦悩が百年続いただけで、死苦から解放されたわけではないのである。業の心は必ず苦しみに到達するのである。

 業の心をつかめばやがては必ず苦しむ! 人間は苦しみに出会うことによって業の心を放し、本心に戻ることができるのである。業の心でつかめる幸せがどれほど大きくても、そんな幸せは無に等しいものである。本心の自分に戻ってつかめる幸せはその無限億万倍の大きな大きな幸せなのである。だからこそ、いつまでも業の心をつかんでいたら苦しむように、神さまの愛の摂理によって仕組まれているのである。業の心に自己満足して、いつまでも業の心に止どまっているのは愚かである。一刻も早く、本心の自分に戻れ! 本心の自分に戻って無限の幸せ一杯に生きよ! 神さまの愛を、無限の無限の大光明を常に全身に浴びよ! 神さまを褒め称え、嬉しい・楽しい・有り難いと全身にその喜びを表現して、無限の無限の幸せを自分のものにせよ! いついかなる時にも感謝一筋に生きるのが本心の自分である。業の心から本心の心へ戻るためには、どんな方便を使ってでも明るく思い返し感謝を積み重ねてゆくことである。例えば、病気に感謝せよというのも、病気からいろいろと学ぶことができて有り難いと感謝する方便の感謝から、神さまの完全健康の大光明が無限の病を消し去って、後わずかな病が勉強の為に残されているだけであることを十分に認識して、無限の無限の大光明が既に自分に与えられていることがこの上なく有り難くて感謝せずにはおれないので感謝するという本道の感謝まで種々様々である。いずれにしても“ありがとうございます”という感謝の言葉は“無限の無限の大光明遍照!”を確認し、実現するための神秘な祈り言葉なのである。