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 昔昔 ある奥深い山寺に4人の小坊主がおったとさ。ある時、その寺の和尚さんが小坊主たちに次のように教えた。“何よりも大切なことは、仏さま以外のことを心に思わないことである。見ざる、聞かざる、言わざるの修行が第一である。”それを聞いた小坊主たちは早速みんなで無言の行をしてみようということになった。そして蝋燭に火をつけて無言の行を始めたのであった。しばらくすると一陣の風が吹いてきて蝋燭の火を消してしまった。すると一人の小坊主が“あっ蝋燭の火が消えてしまったぞ。”と叫んだ。そしたら二人目の小坊主が“黙れ、黙れ。”と小さな声で言った。すると三人目の小坊主は“今は無言の行だぞ。”と言った。4人目の小坊主もたまらず“無言の行に物を言うやつがあるか。”と大声を張り上げてしまったとさ。

 どんな行もわき目も振らずに一心に取り組んでこそ遂行できるものである。祈りの行、感謝行も他人のことが気になるようではなかなか実行できるものではない。他人のことは気にかけずに、ただひたすらに自分が実践してゆくことが大切なのである。他人が祈っているように見えても見えなくとも、そんなことは一切おかまいなく自分がただひたすらに祈りに祈ればよいのである。それが一緒に祈りの行を励んでいる仲間達の行を助ける一番の力になるのである。祈りを深める秘訣は、他人のことは一切気にかけないで、ただひたすらに自分が祈りに祈ることである。そしてその祈っている自分をも忘れて祈りに祈って祈りそのものに成り切ることである。

 “ありがとうございます”という言葉の真実の意味は、宇宙絶対統一神なる天照大御神の無限の無限の大光明が全宇宙に満ちわたって、マイナス無限大からプラス無限大に至る無限の無限の表現として、一切皆善至美至妙完全円満大調和の神の御心が光一元に輝きわたっているということを示しているのである。自分の、今、立っている場で、天照大御神を仰ぎ見て、無限の無限の大光明を感受してゆくことが真実の祈りであり、感謝行である。“ありがとうございます”という祈り言葉には、天照大御神を呼び出し輝かす絶大なる力が秘められているのである。感謝三昧に至れば地獄も一瞬に極楽に変わるという神秘不可思議なる力が発現するのである。今、自分の置かれている場が地獄であっても、決して恐れることは無いのである。赤ん坊が母親に甘えるように、すべてを神さまに任せて、ただ無心に“ありがとうございます”を心に繰り返せばどんな地獄も極楽に変貌するのである。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・・・・