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 唯一無二の宇宙絶対神

 唯一無二の宇宙絶対神は、時間・空間を超越して厳然と実在しているのです。その絶対神が発射・凝集・交流という螺旋状に動作する三大根本神力を駆使して、宇宙(世界)という表現を一瞬一瞬新たに創造し続けているのです。絶対の“今・ここ”において、絶対から相対への変化が間断無く起こり、すべての時間・すべての空間が創造されて、宇宙(宇は空間、宙は時間)・世界(世は時間、界は空間)という表現が生まれているわけなのです。宇宙は絶対神の“生命の輝き”であり、“言霊のひびき”であり、“表情・動作”であって、絶対神の御心(真・善・美・聖)の表現なのです。

 絶対神は完全無欠です。絶対神は永遠不滅・金剛不壊の存在であり、無限の歓喜・大楽であり、荘厳無比・尊厳極まりない存在であり、清浄無垢・至美至妙の完璧なるものです。絶対神は永遠の生命であり、絶対の愛であり、完全なる知恵であり、無限の喜びであり、自由自在なるものです。その絶対神の御心が動き出て・湧き出て・溢れ出て・迸(ほとばし)り出て、その全徳が表現され、全大宇宙のすべてのすべてと現れているのです。だから宇宙というのは絶対神の生命の現れ・愛の現れ・知恵の現れ・喜びの現れ・美の現れ・等々であるわけなのです。

 絶対から相対の両極が生まれ、その完璧なる組み合わせによって、無限の無限の変化に富んだ妙趣ある表現が創造されるのです。相対の両極には、時間と空間、霊魂と元体、生と死、明と暗、善と悪、美と醜、光と闇、プラスとマイナス、等々すべての要素が振り分けられるのです。そしてそれらのすべてが両極から発射と凝集の両神力となって螺旋状に動作し、完璧に交流されて(組み合わされて)、無限の無限の変化に富んだ妙趣ある表現が生み出されているのです。光と闇を例にとれば、無限の光と無限の闇が完璧に交流されると、光の立場から眺めれば、無限に小さい光から無限に大きい光まで、すべてを尽くした無限の段階の光一元の表現が生まれるわけなのです。この光の表現を闇の極から眺めると、すべての光の表現がこの上なく素晴らしいものに感じられるのです。闇が光を浮かび上がらせて、より素晴らしく感じさせてくれるわけなのです。宇宙絶対神の表現のすべては、このように光一元・善一元・愛一元・美一元・生一元・等々の、プラス面を大きく浮かび上がらせる無限に素晴らしいものばかりなのです。

 宇宙絶対神の表現は、完全な知恵によって創造されているので、全大宇宙には同じものは何一つとして無く、同じことは二度と繰り返されることの無い、完璧な無限の価値あるものばかりなのです。絶対神の全徳が無限の大光明となって、光一元に輝いているものなのです。空間的に見れば、無限に小さいものから無限に大きいものまで、次元を変えて種々様々な空間が多重構造的に表現されているのです。時間的に見れば、無限の過去から永遠の未来まで、次元を変えて種々様々な時間が多重構造的に表現されているのです。宇宙全体を眺めるならば、理想の花園には美しい花が一杯咲き乱れているだけでは無く、次から次へと新しい花が開くように、すべての成長段階の姿が準備されているように、マイナス無限大からプラス無限大までの、すべてを尽くした最高理想の表現が、一瞬一瞬新たに創造され続けているのです。

 人(本心の自分)は絶対神の分霊として、それぞれの立場から絶対神の表現(第一表現の世界)を感受して、心行くまでその素晴らしさを味わうと共に、更にはその第一表現の世界の素晴らしさを、第二表現の世界であるこの世に魂魄(魂と肉体)を道具として、具体的に実現させてゆくという使命と目的を与えられているのです。絶対神の表現は、真(科学的真理)・善(宗教的愛行)・美(芸術的表現)・聖(全体を大調和に総括)として理解し把握してゆくことができるのです。しかしながら絶対神の表現を味わって、正しく理解し把握してゆこうという真剣な気持ちが無ければ、無限に素晴らしいものが目の前にあっても、何の価値をも見出せずに終わるかも知れないのです。折角の無限の価値ある人生も、どのように生きるかは一人一人の自由なのです。

 感謝とは、絶対神の表現の素晴らしさを心にしっかりと認めることなのです。心に確認できなければ、それは有っても無いのと同じです。太陽も空気も水も、心に認めなければ感謝の気持ちひとつ起こらないのです。美しい草花が咲いていても、心にしっかりと認めなければ、その美を味わうことができないのです。宇宙という絶対神の表現の中に、真理を愛を美を調和を発見して、その一つ一つを具体的に味わって喜ぶことが感謝なのです。宝捜しを楽しむように、真・善・美・聖をより多く発見した人が、より大きな幸せを手中にできるのです。真っ暗闇という立場から、蛍の光や星の輝きを眺めるならば、きっとその素晴らしさに感動するに違いないように、宇宙のすべてが消滅して0になった立場から、地獄のどん底に置かれた立場から、今の自分の境遇を眺めたら、無限の無限の幸せで一杯という気持ちになるに違いないのです。何事も謙虚な心で、マイナス無限大の立場から明るく善意に思い返して眺めるならば、どんな表現にも無限の価値を見出して、感謝できるものなのです。