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 この短い人生において何が一番大事なことであるか、よくよく見極めなければならない。それは悟りを開いて本心の自覚にかえることである。業想念の奴隷のままで一生を終えたとしたら、いつの日にか本心の自覚にかえることができるのだろうか。本心の自覚にかえることができなければ、この世でどのようなことをしても結局はすべてがはかなく空しく消え去ってゆくだけである。

 ただ生きるだけではどんなに長生きしても、それが一体何になるというのか。おいしいものを食べたからといって、それが一体何になるというのか。美しく着飾ったからといって、それが一体何になるというのか。どんな地位・名誉・財産を得たとしても、それが一体何になるというのか。執着心や虚栄心の奴隷のままでどのような生き方をしても、本心を自覚するということと比較したら全く無に等しい無価値なものである。

 悟り(本心の自覚)を求めてひたすら祈ることと比べたら、この世のどんなことも取るに足りない小事に過ぎない。宇宙大のダイヤモンド(本心の自覚)を手に入れることを忘れて、ごみ捨て場で何か好いものは無いかと探し回っている姿は愚かしい限りである。本当の幸せは本心の自覚にある。その幸せに比べたらこの世のどんな幸せも無に等しいものである。

 この世の人生は短いものである。あと何年ぐらいは生きられるだろうと予定していても、明日には死んでこの世に居ないかも知れない。本心の自覚を得ずに死んだら、何の為の人生なのか。何の修業もせずにあの世へ行ったらきっと後悔の涙を流すに違いない。それはこの世という人生学校で何も勉強せずに遊んだだけなのだから。

 自分には素質が無いから出来ないとためらう者は永遠に悟ることは不可能である。今持っているすべての力を使って努力すれば、素質も能力も奥にある本心から引き出されて大きくなってくるのである。いろいろの理由をつけて今は出来ないと言い訳をするものは、未来永劫そのチャンスをつかむことは出来ないものである。今、悟りを求めてひたすら祈らなければならない。今、小事を捨てて、大事である“祈り”を実行しなければならない。

 チャンスは“今”しか無いのである。“今”を逃せば、チャンスは永久に訪れては来ない。今、祈らなければ、必ず、祈りにくくなる、祈れなくなる、祈らなくなる、永久に祈りを忘れてしまう。今、与えられたチャンスを生かさなければ、条件はますます悪くなってゆくのである。今、祈れば、どんどん祈りやすくなって祈り続けることができるのである。