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 太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神とともにあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万の物これによりて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき。・・・・・。( 新約聖書 ヨハネ伝福音書 第一章より )
 言葉には、光明の言葉と暗黒の言葉がある。心を光明に向けるとき、光明のひびきが光明の言葉となって自然に流れ入ってくるのであり、心を暗黒に向けるとき、暗黒のひびきがおのずと暗黒の言葉となって自分の心の中に流れ入ってくるのである。心を光明に向けて歩むものは、自然に明るい言葉を使っているものであり、心を暗黒に向けて歩むものは、知らず知らず暗い言葉を使っているものである。人は自己が明るい言葉を使っているか、暗い言葉を使っているかを点検することによって、自分の心の向きを確かめることができるものである。人は皆自分の自由意志によって、自分の心の向きを選択して、自分の人生を好きなように歩んでいるのである。心を暗黒の方向に向け続ければ、マイナス無限大の暗黒のどん底にまで必ず到達できるものであり、心を光明の方向に向け続ければ、プラス無限大の光明の極致にまで必ず到達できるものである。

 “運命”という言葉は、命(みこと=言葉)という乗り物に乗って進むことを意味している。光明の言葉は光明の世界へとあなたを運ぶ乗り物であり、暗黒の言葉は暗黒の世界へとあなたを運ぶ乗り物である。あなたの運命は、あなた自身が自由に選択して決めることができるものであり、あなた以外のだれにもあなたの運命を決定することはできないものである。あなたの好きな乗り物に乗って、あなたの好きな所へ自由自在に行くことができるものなのである。心の向きを光明の方向に向けさえすれば、光明の言葉は無限の種類の乗り物を用意してあなたを迎えにやってくるのであり、心の向きを暗黒の方向に向けさえすれば、暗黒の言葉は無限の種類の乗り物を用意してあなたを迎えにやってくるのである。

 人は自分の好きな“言葉”という乗り物に乗って、光明と暗黒の織り成す、マイナス無限大の暗黒からプラス無限大の光明に至る、千変万化の無限の無限の世界に自由自在に遊ぶ者なのである。人は決して運命の奴隷では無い。人は“今”の一瞬一瞬に、言葉を自由に選んで、運命を自在に変えてゆくものなのである。人は運命の支配者であり、主人公なのである。