ありがとうございます製本予定原稿集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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この短い人生において何が一番大事なことでありか、よくよく見極めなければならない。それは悟りを開いて本心の自覚にかえることである。業想念の奴隷のままで一生を終えるとしたら、いつの日にか本心の自覚にかえることができるのだろうか。本心の自覚にかえることができなければ、この世でどのようなことをしても結局はすべてがはかなく空しく消え去ってゆくだけである。(映画をみるように)
 ただ生きるだけではどんなに長生きしても、それが一体何になるというのか。おいしいものを食べたからといって、それが一体何になるというのか。着飾ったからといって、それが一体何になるというのか。どんなに地位・名誉・財産を得たとしても、それが一体何になるというのか。執着心や虚栄心の奴隷のままでどのような生き方をしても、本心を自覚するということと比較したら全く無に等しい無価値なものである。
 悟り(本心の自覚)を求めてひたすら祈ることと比べたら、この世のどんなことも取るに足りない小事にすぎない。宇宙大のダイヤモンド(本心の自覚)を手に入れることを忘れて、ごみ捨て場で何か好いものは無いかと探し回っている姿は愚かしい限りである。本当の幸せは本心の自覚にある。その幸せに比べたらこの世のどんな幸せも無に等しいものである。
 この世の人生は短いものである。あと何年ぐらいは生きられるだろうと予定していても、明日には死んでこの世に居ないかも知れない。本心の自覚を得ずに死んだら、何の為の人生なのか。何の修業もせずにあの世へいったらきっと後悔の涙を流すに違いない。それはこの世という人生学校で何も勉強せずに遊んだだけなのだから。
 自分には素質が無いから出来ないとためらう者は永遠に悟ることは不可能である。今持っているすべての力を使って努力すれば、素質も能力も奥にある本心から引き出されて大きくなってくるのである。色々の理由をつけて今は出来ないと言い訳をするものは、未来永劫そのチャンスをつかむことはできないものである。今 悟りを求めてひたすら祈らなければならない。今 小事を捨てて、大事である 祈り を実践しなければならない。
 チャンスは”今”しか無いのである。”今”を逃せば、チャンスは永久に訪れては来ない。今 祈らなければ、必ず 祈りにくくなる、祈れなくなる、永久に祈りを忘れてしまう。今 与えられたチャンスを生かさなければ、条件はますます悪くなってゆくのである。今 祈れば どんどん祈やすくなって祈続けることができるのである。


この短(みじか)い人生(じんせい)において何(なに)が一番(いちばん)大事(だいじ)なことでありか、よくよく見極(みきわ)めなければならない。それは悟(さと)りを開(ひら)いて本心(ほんしん)の自覚(じかく)にかえることである。業想念(ごうそうねん)の奴隷(どれい)のままで一生(いっしょう)を終(お)えるとしたら、いつの日(ひ)にか本心(ほんしん)の自覚(じかく)にかえることができるのだろうか。本心(ほんしん)の自覚(じかく)にかえることができなければ、この世(よ)でどのようなことをしても結局(けっきょく)はすべてがはかなく空(むな)しく消え去(きえさ)ってゆくだけである。(映画(えいが)をみるように)
 ただ生(い)きるだけではどんなに長生(ながい)きしても、それが一体(いったい)何(なに)になるというのか。おいしいものを食(た)べたからといって、それが一体(いったい)何(なに)になるというのか。着飾(きかざ)ったからといって、それが一体(いったい)何(なに)になるというのか。どんなに地位(ちい)・名誉(めいよ)・財産(ざいさん)を得(え)たとしても、それが一体(いったい)何(なに)になるというのか。執着(しゅうちゃく)心(しん)や虚栄心(きょえいしん)の奴隷(どれい)のままでどのような生き方(いきかた)をしても、本心(ほんしん)を自覚(じかく)するということと比較(ひかく)したら全(まった)く無(む)に等(ひと)しい無価値(むかち)なものである。
 悟(さと)り(本心(ほんしん)の自覚(じかく))を求(もと)めてひたすら祈(いの)ることと比(くら)べたら、この世(よ)のどんなことも取(と)るに足(た)りない小事(しょうじ)にすぎない。宇宙(うちゅう)大(だい)のダイヤモンド(本心(ほんしん)の自覚(じかく))を手(て)に入(い)れることを忘(わす)れて、ごみ捨(ごみす)て場(じょう)で何(なに)か好(よ)いものは無(な)いかと探し回(さがしまわ)っている姿(すがた)は愚(おろ)かしい限(かぎ)りである。本当(ほんとう)の幸(しあわ)せは本心(ほんしん)の自覚(じかく)にある。その幸(しあわ)せに比(くら)べたらこの世(よ)のどんな幸(しあわ)せも無(む)に等(ひと)しいものである。
 この世(よ)の人生(じんせい)は短(みじか)いものである。あと何年(なんねん)ぐらいは生(い)きられるだろうと予定(よてい)していても、明日(あす)には死(し)んでこの世(よ)に居(い)ないかも知(し)れない。本心(ほんしん)の自覚(じかく)を得(え)ずに死(し)んだら、何(なん)の為(ため)の人生(じんせい)なのか。何(なん)の修業(しゅぎょう)もせずにあの世(よ)へいったらきっと後悔(こうかい)の涙(なみだ)を流(なが)すに違(ちが)いない。それはこの世(よ)という人生(じんせい)学校(がっこう)で何(なに)も勉強(べんきょう)せずに遊(あそ)んだだけなのだから。
 自分(じぶん)には素質(そしつ)が無(な)いから出来(でき)ないとためらう者(もの)は永遠(えいえん)に悟(さと)ることは不可能(ふかのう)である。今(いま)持(も)っているすべての力(ちから)を使(つか)って努力(どりょく)すれば、素質(そしつ)も能力(のうりょく)も奥(おく)にある本心(ほんしん)から引き出(ひきだ)されて大(おお)きくなってくるのである。色々(いろいろ)の理由(りゆう)をつけて今(いま)は出来(でき)ないと言い訳(いいわけ)をするものは、未来永劫(みらいえいごう)そのチャンスをつかむことはできないものである。今(いま) 悟(さと)りを求(もと)めてひたすら祈(いの)らなければならない。今(いま) 小事(しょうじ)を捨(す)てて、大事(だいじ)である 祈(いの)り を実践(じっせん)しなければならない。
 チャンスは”今(いま)”しか無(な)いのである。”今(いま)”を逃(にが)せば、チャンスは永久(えいきゅう)に訪(おとず)れては来(こ)ない。今(いま) 祈(いの)らなければ、必(かなら)ず 祈(いの)りにくくなる、祈(いの)れなくなる、永久(えいきゅう)に祈(いの)りを忘(わす)れてしまう。今(いま) 与(あた)えられたチャンスを生(い)かさなければ、条件(じょうけん)はますます悪(わる)くなってゆくのである。今(いま) 祈(いの)れば どんどん祈やすくなって祈続けることができるのである。


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