ありがとうございます製本予定原稿集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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天地(あめつち)を貫(つらぬ)く光(ひかり)の立(た)つ所(ところ)は、神(かみ)さまの助(たす)けが瞬時(しゅんじ)に降(お)りる所(ところ)です。すべての番組(ばんぐみ)・次元(じげん)の間(あいだ)の扉(とびら)が開(あ)け放(はな)たれているので、神(かみ)さまも自由(じゆう)に働(はたら)けるのです。どの番組(ばんぐみ)・次元(じげん)に在(あ)っても、感謝(かんしゃ)一筋(ひとすじ)に生(い)きれば、的確(てきかく)な助(たす)けを受(う)けることができるのです。さらには自分(じぶん)を与(あた)え尽(つ)くすことによって、より高(たか)い番組(ばんぐみ)・次元(じげん)へと移行(いこう)することができるのです。感謝(かんしゃ)の心(こころ)・与(あた)える心(こころ)を生(い)きれば、神(かみ)さまの助(たす)けを受(う)け易(やす)い・高(たか)い番組(ばんぐみ)へ昇華(しょうか)し易(しやす)い反面(はんめん)、感謝(かんしゃ)を忘(わす)れ・求(もと)める心(こころ)を生(い)きれば、瞬時(しゅんじ)に下(した)へ転落(てんらく)することも可能(かのう)なのです。思(おも)い通(どお)りに・願(ねが)い通(どう)りに成(な)らないということは、思(おも)いを積(つ)み重(かさ)ねなくても済(す)むし、思(おも)いを消(け)し去(さ)ってもらえるのです。また低(ひく)い番組(ばんぐみ)へ落(お)ちて、謙虚(けんきょ)になれたら、感謝(かんしゃ)できるようになるのです。感謝(かんしゃ)を忘(わす)れて高(たか)い番組(ばんぐみ)に止(とど)まるよりも、低(ひく)い番組(ばんぐみ)に落(お)ちても感謝(かんしゃ)できるようになる方(ほう)が、幸(しあわ)せへの最短(さいたん)コースを歩(あゆ)んでいるのです。だから光(ひかり)の柱(はしら)の立(た)つ所(ところ)は、いつも神(かみ)さまの助(たす)けが大(おお)きいのです。
 光(ひかり)の強(つよ)いところでは、感謝(かんしゃ)の心(こころ)の自分(じぶん)は、上(うえ)へ上(うえ)へと昇(のぼ)り易(やす)いのです。ところが思(おも)いの心(こころ)の自分(じぶん)は、強(つよ)い光(ひかり)からは逃(に)げようとするのです。消(け)されると困(こま)るので、下(した)へ下(した)へと逃(に)げてゆくのです。感謝(かんしゃ)に生(い)きれば感謝(かんしゃ)の深(ふか)い自分(じぶん)に成(な)ってゆくのです。思(おも)いに生(い)きれば、思(おも)いの厚(あつ)い自分(じぶん)に成(な)ってゆくのです。一瞬(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)どちらの生(い)き方(かた)を選(えら)ぶかによって、それは決(き)まるのです。一瞬(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)感謝(かんしゃ)の自分(じぶん)を選(えら)び続(つづ)けたら、本心(ほんしん)(感謝(かんしゃ)の心(こころ))の自分(じぶん)が大(おお)きく輝(かがや)くのです。真剣(しんけん)になれば、徹底(てってい)すれば、本心(ほんしん)の(感謝(かんしゃ)の心(こころ))の自分(じぶん)を選(えら)び続(つづ)けることができるのです。自分(じぶん)の責任(せきにん)で、自分(じぶん)の自由意志(じゆういし)で、自分自身(じぶんじしん)が選(がえら)ぶのです。
 感謝(かんしゃ)の自分(じぶん)は必(かなら)ず、恩返(おんがえ)しの心(こころ)・与(あた)え尽(つ)くす心(こころ)を生(い)きるのです。感謝(かんしゃ)の心(こころ)と与(あた)える心(こころ)とは一体(いったい)の心(こころ)です。感謝(かんしゃ)の自分(じぶん)は決(けっ)して、求(もと)める心(こころ)を起(お)こさないのです。求(もと)める心(こころ)は起(お)こらないのです。もし一寸(ちょっと)でも求(もと)める心(こころ)が顔(かお)を出(だ)したら、感謝(かんしゃ)を忘(わす)れ、思(おも)いの自分(じぶん)を生(い)きているのです。思(おも)いの心(こころ)と求(もと)める心(こころ)とは一体(いったい)の心(こころ)です。真(しん)の神(かみ)さまの助(のたす)けとは、思(おも)い通(どお)りに成(な)ることでは無(な)いのです。逆(ぎゃく)に思(おも)い通(どお)りに成(な)らないのが、願(ねが)い通(どお)りに成(な)らないのが、真(しん)の神(かみ)さまの助(たす)けなのです。思(おも)いの自分(じぶん)から感謝(かんしゃ)の自分(じぶん)へと、求(もと)める心(こころ)の自分(じぶん)から与(あた)える心(こころ)の自分(じぶん)へと、変化(へんか)させてくださるのが、真(しん)の神(かみ)さまの助(のたす)けなのです。
真(しん)の神(かみ)さまの前(まえ)に立(た)つ時(とき)は、求(もと)める心(こころ)・思(おも)いは無用(むよう)なのです。感謝(かんしゃ)の心(こころ)・与(あた)えるココロで、真(しん)の神(かみ)さまに相対(あいたい)せば、幸(しあわ)せは無限(むげん)に無限(むげん)に大(おお)きく成(な)るのです。真(しん)の神(かみ)さまの働(はたら)きは、揮(ふる)いものを破壊(はかい)し・消(け)し去(さ)って来(く)るのです。思(おも)いの心(こころ)で執着(しゅうじゃく)して掴(つか)んでいるものを、すべて消(け)し去(さ)ってくるのです。その後(あと)へ本当(ほんとう)に必要(ひつよう)なものを、新(あら)たに新(あら)たに与(あた)え続(つづ)けてくださるのです。真(しん)の神(かみ)さまは、思(おも)いの自分(じぶん)にとっては、閻魔大王(えんまだいおう)よりも恐(おそ)ろしいものです。
  

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