おおはらい のりとへ ようこそ あなたは 人目の訪問者です。

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18

「過犯(あやまちおか)しけむ雑雑罪事(くさぐさのつみごと)は、

天(あま)つ罪(つみ)とは、畔放(あぜはなち)、溝埋(みぞうめ)、

樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしさし)、生剥

(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)、許許太久(ここ

だく)、の罪(つみ)を、」



 一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)新(あら)たに、神(かみ)さま

の全徳(ぜんとく)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)き

を、100パ−セント受(う)け直(なお)していたら、一切(いっさい

)の罪穢(つみけが)れは無(な)いのです。過去(かこ)の古(ふる)

いものを掴(つか)んでいるのが、穢(けが)れです。本心(ほんし

ん)の自分(じぶん)を忘(わす)れ、新(あら)たなる全徳(ぜんとく

)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きを受(う)け直(な

お)すことを忘(わす)れ、番組(ばんぐみ)の中(なか)に落(お)ち

込(こ)み、配役(はいやく)の自分(じぶん)に囚(とら)われた瞬間

(しゅんかん)から、罪穢(つみけが)れが発生(はっせい)している

のです。

 天(あま)つ罪(つみ)とは、根本的(こんぽんてき)な罪(つみ)、

天地(てんち)の経綸(けいりん)・大調和(だいちょうわ)の働(は

たら)きを邪魔(じゃま)する罪(つみ)です。最高番組(さいこうば

んぐみ)を現実化(げんじつか)しようとしないこと、またその現

実化(げんじつか)の邪魔(じゃま)をすること等(とう)です。


 畔放(あぜはなち)とは、田(た)の畔(あぜ)を壊(こわ)して、

水(みず)を出(だ)し、稲(いね)を枯(か)らすように、天照大御神

(あまてらすおおみかみ)の大調和(だいちょうわ)の働(はたら)き

を邪魔(じゃま)し、拒絶(きょぜつ)することです。

 溝埋(みぞうめ)とは、水(みず)の流(なが)れる溝(みぞ)を埋(う

)めるということで、生(い)かし合(あ)い・助(たす)け合(あ)いの

自然循環(しぜんじゅんかん)・自然流通(しぜんりゅうつう)を

ストップさせることです。

 樋放(ひはなち)とは、ダムの水門(すいもん)や水道(すいどう)の

栓(せん)を開(あ)けっ放(ぱな)しにするように、天地(てんち)の

恵(めぐ)みを無駄遣(むだづか)いする・浪費(ろうひ)することです。

 頻蒔(しきまき)とは、他人(たにん)の種蒔(たねま)きした畑(はた

け)へ、種蒔(たねま)きするように、他(た)の領分(りょうぶん)を

侵(おか)すことです。

 串刺(くしさし)とは、串(くし)を突(つ)き刺(さ)すように、他(た)

を傷(きず)つけ、他(た)の働(はたら)きを邪魔(じゃま)することです。

 生剥(いきはぎ)とは、生(い)きているものの皮(かわ)を剥(は)ぐよ

うに、残虐(ざんぎゃく)な行(おこな)いをすることです。

 逆剥(さかはぎ)とは、道理(どうり)を踏(ふ)みにじって、他(た)を

傷(きず)つけることです。

 屎戸(くそへ)とは、宮殿内(きゅうでんない)に大便(だいべん)を

するように、無礼千万(ぶれいせんばん)な乱行(らんぎょう)をする

ことです。

 許許太久(ここだく)とは、このような・幾多(いくた)の、という

意味(いみ)です。


0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18