00.01.02.03.04.05.06.07.08.09.10.11.12.13.14.15.16
.17.18.1920.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.
33.34.35.36.37.38.39.40.41.42.434445 46 474849 50 51

ふることふみにようこそ! カウンター人目の訪問者です。参考文献、引用等は、水谷清 先生 著 古事記大講 です。

ふることふみ(古事記)

あめつち はじめ おこるのとき たかあまはら に なりませる かみの みなは あめのみなかぬしのかみ


このくさぐさのものは ふとたまのみこと ふとみてぐら と とりもたして あめのこやねのみこと ふとのりとごと ねぎまをして

此種々物者 布刀玉命 布刀御幣登取持而 天兒屋命 布刀詔戸言祷白而

 此種々物: 根(絶対)付きの天香山之五百津眞賢木に、八尺勾瑰(原文は異体字)之五百津之御須麻流之玉が取り付けられ、八尺鏡が取り懸けられ、白丹寸手青丹寸手が取り垂でられて、天照大御神の移写(うつしすがた⇒象徴)としての御神像・御尊影が構成されたのでありますが、その構成物のすべてを指しているのであります。

 布刀御幣: 御幣とは、神を祭る(真釣る・真に釣り合う・同じ状態となり一体化する)時に、神に捧げる物の総称である。天照大御神の聖像の模型(御霊代・御樋代)でもあり、万生の基準体型の模型でもある。布刀とは、太(ふと)である。もと、?(大が上下に並んだ字)と書いた。大きい上に更に大きい意。太極(陰陽二気に分かれる前の唯一の存在)の太であり、唯一無二の・絶対の・最も正しい・一大包容の・全備具足の・公式の・公の・すべてに通用する・すべてを尽くした・無限に無限に大きい、等の意。布刀玉命は此種々物を総括して、布刀御幣そのものに成りきっているのであります。

 布刀詔戸言: 詔戸言とは、ノリ コトゴトであります。ノリとは、法(真理・道理・至道・規範・標準・基準・模範・公正・法則・法律・宇宙の有形無形の一切の事象)であり、則(原則・法則・標準・手本・道理・天理・条理・組み立て・筋道・常住不変・物差し)であり、祝(祈る・幸せを祝う・めでたいことを喜ぶ・感謝する)であり、糊(密着させる・一体化する)であります。コトゴトとは、言言であり、言霊の宿る種々様々な言葉であります。

 フトノリコトゴトとは、すべての感謝の言葉であります。 「ありがとうございます」という感謝の言葉には、天照大御神(全徳の無限の無限の輝き)今・此処に在します、という根本義が秘められているのであります。神我一体化させる・どんな幸せをも感受させる・誰もが自由に使える・自然発生的に生まれた・不可思議な・奇跡を呼ぶ・神秘の言葉である。天兒屋命は奇魂神として神通自在力を発揮して、根源より深い感謝の祈りを捧げているのであります。

91-1






















常世往(よこよいく→暗黒の世界が続く)には、様々の意味があるのであります。

@地球の上面に太陽からの生命線が宿った状態、つまり地上に生物を生み出すために、地球が生命の種子を宿して、生物が誕生するまでの妊娠状態を意味する。

A人体についての、胎児の霊魂が母体内に宿り、出産するまでの妊娠期間の状態。
 霊魂が母の胎内に入るということは、前世の一切を忘却して、暗黒の世界に入ることである。
 Aー1、人間が前世を忘却して、新たなる生の覚醒を得るということは、今を大事に最高に生きるようになる為の必要な配剤でもある。

B歴史的に見るときの、世界や國の暗黒時代の状態。霊主体従は調和をもたらすが、体主霊従からは世の乱れを生ずる。肉系横暴(利己的な生き方)の結果として必然的に生ずる、暗く乱れきった状態。

C人間が個人的に業想念を積み重ね、この世において、またあの世において、地獄に陥った状態。
D人間が本心を覆い隠し、業想念の奴隷となった状態。

E正しい教法が隠蔽されて、間違った教法がはびこっている状態。

F一切を無にして、創造の始源に帰ること。

G初心に帰ること、マイナス無限大(地獄のどん底)の立場に立つこと。

Hハンデイキャップを背負い、困難に自分から挑戦して、全力発揮・全活躍の立場に立つこと。

I植物の種子が土中に蒔かれ、発芽するまでの状態。発芽後は根を張り巡らしては、暗黒世界(土中)を開拓し、枝葉を伸ばしては、光明世界を開拓する。

84−1







すなはち たかあまはら みな くらみ あしはらのなかつくに ことごとく くらむ これに よりて とこよ ゆく
爾 高天原 皆暗 葦原中國 悉 闇 因此而 常夜往


葦原中國→アシは速度の意、ハラは旋回の意、中國は中央に位置する國の意→太陽をある速度をもって周回旋回している惑星群の中央に位置する地球を指している。

 
 太陽系宇宙(たかあまはらのひとつ)において、太陽(あまてらすおおみかみさまのひとつ)からの生命線が地球上表面に宿り、即ち地球が胎児(生命の種子)を妊娠したときの状態であります。
 地上に限身(かぎりみ)の生物を生み出すということは、難事中の難事なのでありまして、妊娠期間中に母体である地球には種々様々な変化が起こるわけなのであります。
 その一つに悪阻(つわり)のような状態もあるわけであります。
 それがこの地球の大噴火・大爆発に当たるのであります。
 この地球の大爆発があまりにも凄まじいものであったために、地球を中心に眺めるとき→素戔嗚尊様の行事を重くみるとき、太陽からの光がすべて遮られ、太陽系全体(たかあまはら)が真っ暗闇になったように見えたのであります。
 それで、高天原皆暗(たかあまはらみなくらみ)葦原中國悉悉(あしはらのなかつくにことごとくくらむ)と言うのであります。


常夜往→昼の無い真っ暗闇の夜の状態が永遠に続くのが常夜であります。この夜が静止した無活動の夜ではなく、躍動した活動的な、一瞬一瞬新たに生み出される夜であるから”往”というのであります。

 
 この地球の大爆発によって、地軸が23.5度傾くという大事件が起こったわけでありますが、現状にしがみつき現状を維持しようとする立場からすれば、驚天動地の天地がひっくり返るような大変が大事件出来事であります。
 しかしながらこの地球の地軸の傾斜によって、四季の変化を初めとして、地球上に無限の妙趣ある変化をもたらすことになるのであります。
 そしてまた23.5度の傾斜が理想的なものであることは、現在の地球の姿を観察洞察すれば十分に納得できるものあることがわかるのであります。
 神さまの御心の如何に深慮遠謀なものであるかを窺い知るとき(うかがいしるとき)、神さまの偉大さ・神業の尊厳さ荘厳さに思わず感涙の涙を流さざるにはおれないものがあるのであります。
 現在の地球が、無限の変化に富んだ(豊富な)豊葦原(とよあしはら)であり、単に水を表面にする瑞穂(みずほ)ではなく、瑞々しい(みずみずしい)無限無量の美しい表現に満ちた國(瑞穂の國)になっているのを思うとき、建速須佐之男命さまは決して凶暴なる悪神ではなく、大慈悲・慈母の神であるということに気付くはずであります。
 ”全大宇宙のすべては、神さまの絶対の愛の現れである。”ということは、永遠に変わらない真理なのであります。

 無限の無限のありがとうございます

83−1

 あまてらすおほみかみ いみはたやにましまして かむみそおらしめたまふときに そのはたやのむねをうがちて あめのふちこまをさかはぎにはぎて おとしいるるときに あめのはたおりめ みおどろきて  ひに ほとをつきて みうせぬ かれここに あまてらすおほみかみ みかしこみて
あめのいはやどをあけて さしこもりましましき

 天照大御神 坐忌服屋而  令織神御衣時 穿其服屋之頂  逆剥天斑馬剥而 所堕入時 天服織女見驚而 於梭衝陰上而死 故於是 天照大御神見畏 開天石屋戸而 刺許母理坐也

 忌服屋(いみはたや): 天地経綸の機織りの神業を意味する。天地(宇宙・世界)を縦糸と横糸の相対のすべてを織りなして、完壁な大調和の相象に治め整える神業そのものを意味し、天照大御神が忌服屋そのものに成りきっているのである。忌とは、畏敬の心で、差し控えて口にしないこと、また斎であり、最高荘厳の機織りのすがたは、真清浄・真無垢であることを意味している。

 神御衣(かみみそ): 天地(宇宙・世界)は天照大御神の御衣であり、装いである。一瞬一瞬新たな御衣を織りなし、最高の装いを凝らしているのである。

 天斑馬あめのふちこま):種々の色彩で斑入りになっている、飛び跳ねる力の強い天馬に例えて、地球の内部の火熱が猛烈な勢いで噴き上がり、多量の土塊を含んだ大爆発・大噴火の状態を意味している。

 逆剥剥(原文は旧字体、さかはぎにはぎて):尾の方より逆に生剥に皮を剥ぐことであり、火熱の物凄い状態を表現しているのである。

 梭(ひ): 機織りの際、横糸を通す操作に用いるもの。

驚天動地の大噴火・大爆発に、天地経綸の機織りの働きが妨げられて、中断したことを、梭に陰(ひにほと→新たなるものを生み出す場所)を衝いて、死んだ、という表現をとっている。太陽と地球の間には、無数の糸(霊線)による天地経綸の機織りが成されていたのである
が、そこへ大噴火・大爆発〔この時に地球は23.5度傾いた〕が加わって、太陽からの霊線は断絶され、地上には全く太陽からの光線も熱線も到達しない状態に陥ったわけである。しかしこの惑乱の時に既に、生命の種子は地上に降ろされているのであって、大爆発によって地軸の傾斜したことも深遠な意義を持ち、地球の進化が神の御心のままに計画通りに運ばれてゆくことになるのである。天石屋(あまのいわや)とは、絶対の境界を意味する。深い深い絶対の祈りの境地に立つことが、開天石屋戸而 刺許母理坐也(あまのいわやどをあけてさしこもりましき) ということである。

82-1

 天照大御神さまは高天原(タカアマハラ→顕界・幽界)を光一元に輝かし、絶対統一するのが役目なのであります。
 顕界(光明世界)を光一元に輝かすのみではなく、幽界(暗黒世界)をも光一元に輝かしてこそ、その働きは真に偉大なのでありありまして、その表現もこの上なく完全円満完璧なものとなるのであります。
 従って、暗黒(マイナス無限大のすがた)の到来は、幽界完成の為の必然の過程なのであります。
 天照大御神さまは暗黒の到来を嫌なものマイナスのものとして浅く受け止め捉えているのではなく、逆に崇高な・偉大なものとして畏敬の心で眺め、受け取っているのであります。
 何事においてもハンデイキャップを背負うということは、競技者にとっては、名誉であって、眞のチャンスを与えられたことになるのであります。
 どんなときでも、解決不可能と見える難問題に遭遇直面するとき、心身共に引き締まり、真剣な心で全力を尽くさずにはおれなくなるものであるのです。
 そして見事難問題を解決達成したときの喜びは無限に無限に大きいものとなり、その素晴らしさも無限に大きいものとなるのであります。
 幽界すなわち暗黒界を光一元に輝かすということは、難事中の難事でありまして、その至難の業を達成するために、天照大御神さまは今絶対の境地に入り、深い深い祈りの境地に立って、御神事に当たろうとしているのであります。
 刺(さし)とは、戸に物を刺して固めること、許母理(こもり)とは、隙間無く周りを囲まれている中に入って外に出ないことであります。すなわち刺許母理とは、絶対の世界に深く深くは入り切った状態を意味しているのであります。
 顕幽両界を絶対統一する力は、絶対の世界に入りきってこそ得られるものであります。
 天照大御神さまは絶対の世界から得た無限の無限の大光明をもって、マイナス無限大からプラス無限大に至る、顕幽両界を光一元に輝かそうとしているのであります。

 天石屋戸(あまのいわやど)とは黄泉比良坂(よもつひらさか)に置かれた千引岩(ちびきいわ)にあたるものであります。
 高天原(全大宇宙→たかあまはら→顕幽両界)は千引岩をもって顕界と幽界に二分されているのでありますが、天照大御神さまが天石屋戸を開けて、顕界に入りきって、その戸を閉めるとき、幽界は全く光明(天照大御神さまのこと)の無い状態となるわけであります。
 即ち、幽界(高天原の半分のこと)のすべてが全くの暗黒世界になったというわけなのであります。

 天照大御神さま天石屋戸をあけて顕界に入りきるということは、これ即ち幽界は真っ暗になると言うことはさきほど申し上げたとおりでありますが、これは、別の言い方見方をすると素戔嗚尊様(すさのおのみことさま→天照大御神さまの半面)の地獄界(マイナス無限大)の建設であるとも言えるのであります。
 地獄界(マイナス無限大)を出発点として、幽界をマイナスのより少ない表現の世界となるように、進化向上させることによって、その結果、幽界を光一元に輝かせることは、幽界を絶対統一することなのであります。

82−2


あめのみなかぬしのかみ が たかあまはら と なり(成り鳴り生り)あめつち(天地)がはじめおこる(初発する)

                   たかあまはら という 容相(成り)音声(鳴り)生命(生り)になる。

あめのみなかぬしのかみ(隠身絶対実在)の現象表現をたかあまはら と云う。
あめのみなかぬしのかみ(実在)即ちたかあまはら(現象)たかあまはら即ちあめのみなかぬしのかみ
あめのみなかぬしのかみがすべてのすべて。あめのみなかぬしのかみの他には何ものも存在しないのである。
あめのみなかぬしのかみが唯一無二の実在であり、唯一無二の現象である。
一神 即 万生 万有。  万神 万生 万有 即 一神。 
  たかあまはら(順流無形の神力)

1、たかあ     中心より外に向かって発射し進展する働き(発射神力)

2、た あま    外から中心に向かって凝集する       (凝集神力) 

3、 かあま    円融無碍に交流する             (交流神力) 

4、     はら  螺旋状に転回する              (螺転神力)

  らはまあかた(逆流有形の形状)

1、らは      螺旋状の波の形状

2、  まあか   全 大 多 勝 の形状

3、  まあ た  股 支 分 部 枝 等の形状

4、     かた  片 半 等の形状 

かみ とは、かくりみ(絶対神)かごりみ(仮凝身)かがりみ(耀身)かけりみ(駆身)かぎりみ(限身)の5つのことばをつづめたものであって、その1つ又は全体」を指して云う。



つぎに たかあみうむすびのかみ  つぎに  まあかみうむすびのかみ


たかあまはらには タカアマハラ(順流)とラハマアカタ(逆流)とがある。

  タカアマハラは宇宙構成の三大根本神力である。

  タカア ハラ      遠心的発射螺旋状神力

  タ アマハラ      求心的凝集螺旋状神力

   カアマハラ      円融的交流螺旋状神力

  ラハマアカタは相(形・容・姿・態)となる螺旋状波

  ラハマアカ

  ラハマア タ

  ラハ   カタ


たかあまはら(全大宇宙)には、神力と神相とが本来一体でありながら、相反する両面として働
いていて、「力」の作用で「相」が現れ、「相」の作用で{力」が種々に現れる。
この順逆二つの流れの結合によって、一切の万神万生万有が生み出される。

ミウムスビ(ミ  ウム  ムスビ)
二つの流れがお互いに結合し、新しいものを生み出してゆく根本創造の働きである。
一切の万神万生万有は在る(ある)のではなく、なる(成る・鳴る・生る)のである。成
るということは単なる存在ではなくて、生成である。生成とは一瞬一瞬 新生し、無限に
伸展することである。不断に無限の創造が続けられて、無限無量の個々性、種々相に活現
することである。


タカアマハラの順流をタカアで代表し、ムスビとカミを付けて、神力系統大祖神と仰ぐ。

「タカア  ミムスビ  ノカミ」   神力大祖神

                    タタア(父)系・かむろぎ(神漏岐)系・霊魂系〈霊系)

タカアマハラの逆流をマアカで代表し、ムスビとカミを付けて、神相系統大祖神(体系)

「マアカ  ミムスビ  ノカミ」   神相大祖神
Q
                     ママア(母)系・かむろび(神漏美)系・物質系(体系)

あめのみなかぬしのかみの父系(霊系)としての現れが「タカア ミムスビ ノカミ」である。

あめのみなかぬしのかみの母系(体系)としての現れが「マアカ ミムスビ ノカミ」である。