ありがとうございます インタビュ−による ポ−トレ−トは宗教サイトではありません。古神道研究ノ−トです。またその内容に責任を保持していません。さらに著作権も行使しません。どうぞ自由に使いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感じになったよというのをどんどん、是非メールでお知らせください。河上彰延
使いまわすような内容はまだまだないですが・・・・

ありがとうございます先生(通称ありがとうおじさんと呼ぶ人もいる)の生い立ち・・・・ インタビュ−による ポ−トレ−ト 

⇒文末‐そういう意味(いみ)ではあんまり表(おもて)に出(で)てこない方(ほう)がいいと。

はい。だから お祈(いの)りだけにね 全部(ぜんぶ)を 捧(ささ)げて。 だからね、みんなが 悟(さと)った自分(じぶん) として 一人(ひとり)ひとり 出(で)てくる方(ほう)が 私(わたし)に 教(おし)えられて 生(い)きるよりも いいじゃないですか。⇒以上文末


‐何人兄弟(なんにんきょうだい)ですか?

4人兄弟(きょうだい)。姉(あね)が一人(ひとり)、妹(いもうと)二人(ふたり)ですね。

‐ご両親(りょうしん)は何(なに)やってたんですか?

私(わたし)の両親(りょうしん)はね、和歌山出身(わかやましゅっしん)なんですけど、どちらも小(ちい)さいときに孤児(みなしご)同然(どうぜん)になっているんです。母(かあ)さんの方(ほう)は両親(りょうしん)の家(いえ)に生(う)まれて両親(りょうしん)がすぐに死(し)んで兄弟(きょうだい)も全部(ぜんぶ)死(し)んでるのね。お爺(じい)さんが一人(ひとり)生(い)き残(のこ)って7歳(さい)ぐらいまで面倒(めんどう)見(み)てもらったんですが、親戚(しんせき)にもらわれていったような形(かたち)で相当苦労(そうとうくろう)してるんですけどね。それで父(ちち)のほうもみんな亡(な)くなって、財産(ざいさん)だけ残(のこ)してもらって、それを放蕩(ほうとう)に使(つか)ってしまったというような感(かん)じでね。それも死(し)ぬようなところまで行(い)ったんでね。肺結核(はいけっかく)でもう末期(まっき)でだめだっていうところまで行(い)って、それで神(かみ)がかりになって命(いのち)助(たす)けてもらったのね。
‐神(かみ)がかりというのは自然(しぜん)になったんですか?

そう自然(しぜん)になったのね。もう血(ち)を吐(は)いて、どうしようもなくなった状態(じょうたい)で神(かみ)がかりになって、最後(さいご)に守護霊(しゅごれい)さんが治(なお)してくれたのね。

‐その辺(へん)の具体的(ぐたいてき)な話(はなし)というのは覚(おぼ)えていますか?

はい。だから意識(いしき)がなくなってもう自分(じぶん)がね、たとえばサワガニを取(と)ってね、食(た)べたりするのが分(わ)からんうちに行(い)っているみたいで。栄養取(えいようと)るのにね、無意識(むいしき)のうちにいろいろ健康(けんこう)になるような方法(ほうほう)をおそわってね。ほんで命(いのち)を助(たす)けてもらって。
‐それはいつ頃(ごろ)の話(はなし)ですか?お父(とう)さんがいくつぐらいのときに?

若(わか)いときでね。

‐二十歳(はたち)ぐらい?

うん。

‐じゃあ、まだ結婚(けっこん)してないし子供(こども)も...。

結婚(けっこん)はね、父(ちち)が明治(めいじ)36年生(ねんう)まれで、母(はは)が大正(たしょう)7年生(ねんう)まれですね。年齢(ねんれい)は相当離(そうとうはな)れているでしょ。結婚(けっこん)するのも、あの父(ちt)がその神(かみ)がかりになって助(たす)けてもらって、後(あと)で相当修行(そうとうしゅぎょう)しているんですよね。滝(たき)に打(う)たれたりいろいろしてね。それで霊媒体質(れいばいたいしつ)というんですか、それは極度(きょくど)の霊媒体質(れいばいたいしつ)で神(かみ)がかりになりやすかったんですね。いろんな霊魂(れいこん)が降(お)りてきては、拝(おが)みやさんみたいなことをさせれられていたみたいですね。職業(しょくぎょう)は時計屋(とっけいや)にでっち奉公(ぼうこう)に入(はい)って時計(とけい)の修理(しゅうり)の技術(ぎじゅつ)を身(み)に付(つ)けてね、職業(しょくぎょう)は時計屋(とけいや)なんですよ。それで人(ひと)の相談(そうだん)にのって拝(おが)みやさん的(てき)にね、霊媒(れいばい)のその、働(はたらき)きをさせてもらったのね、無償(ただ)で。幸栄(さきは)え分(わ)け御霊(みたま)として神様(かみさま)がさせてたみたいですね。そこへですね、母(はは)が病気(びょうき)になって困(こま)ってそこへ行(い)ったときに、神(かみ)がかりになってこの人(ひと)と結婚(けっこん)せよ言(い)うたわけね(笑い)。

‐それはお父(とう)さんが自分(じぶん)で言(い)ったんですか?

いや、それは神(かみ)がかりになって神(かみ)さんが言(い)うたんですね(笑い)。父(ちち)の方(ほう)はね、その神(かみ)がかりになったときは意識(いしき)ないんですよ。何(なに)を言(い)ったかも覚(おぼ)えていないのね。最後(さいご)にいろいろス--と、その話(はなし)も聞(き)けるわけですけど、まったくもう自分(じぶん)はぜんぜんわからないみたいですね。

‐その神(かみさま)が結婚(けっこん)しろと言(い)った瞬間(しゅんかん)にお母(かあ)さんはどのように?

いろいろと精神的(せいしんてき)にね、心安(こころやす)らぐ教(おし)えを説(と)いてくれる神様(かみさま)だったんでね、それで素直(すなお)にハイという気持(きも)ちになれたらしいんです。まあ、どっちも一人(ひとり)ぼっちなんで、親戚(しんせき)もないし頼(たよ)るところもないしということで。

‐お父(とう)さんは四十(よんじゅう)ぐらいのときですか?

そうですね。

‐お母(かあ)さんのほうが二十歳(はたち)ぐらい?

そうなんですよ。だから母(はは)が父(ちち)を選(えら)んだというよりも、神(かみ)がかりになって降(お)りてくる神様(かみさま)を選(えら)んだという、指導(しどう)してくれる神様(かみさま)を選(えら)んで結婚(けっこん)したという感(かん)じですね。

‐仮(かり)の話(はなし)ですが、そこで離婚(りこん)をしたらどうなるんですかね(笑い)。神様(かみさま)が見誤(みあやま)ったということですかね?

だから母(はは)の方(ほう)は結婚(けっこん)してから相当苦労(そうとうくろう)してますよね。父(ちち)は小(ちい)さいときから贅沢(ぜいたく)してますでしょ。お酒飲(さけの)んで身(み)を持(もち)ち崩(くず)してるでしょ。働(はたら)くこともにがてでしょ。考(かんが)え方(かた)がやっぱりね、甘(あま)えてるっていうんですか、責任感薄(せきにんかんうす)いですよね。

‐じゃ、もしかしたら神(かみ)がかりじゃなかったかもしれないですね(笑い)。

だから神(かみ)がかりといっても、いろんな神様(かみさま)が降(お)りてきますよね。降(お)りてくる神様(かみさま)の中(なま)から母(はは)の場合(ばあい)は一人(ひとり)の神様(かみさま)を選(えら)んでたのね。だからその後(ご)も、その神様(かみさま)がいつもね、お前(まえ)たちは親(おや)もないんだから神(かみ)が指導(しどう)するということでずっと見(み)てきてもらったのね。

‐それで、お父(とう)さんとお母(かあ)さんから何(なに)か精神的(せいしんてき)なことを教(おそ)わったんですか

まあ、小(ちい)さいときから、拝(おが)み屋(や)さんをしてますよね父(ちち)が。いろんな相談(そううだん)が来(き)たら、霊媒(れいばい)になっていろいろお告(つ)げを与(あた)えたりしますよね。そういうのを身近(みじか)に見(み)てますよね私(わたし)が。それで私(わたくし)たちに対(たい)してでも、神(かみ)がかりしてきたいろんな神様(かみ)が指導(しどう)してくれるんです。精神的(せいしんてき)な指導(しどう)をね。ちょうど親代(おやが)わりの感(かん)じでね。だからそういうのはいつも小(ちい)さいときから身近(みじか)にずうっと見(み)て、体験(たいけん)して、私(わたくし)はもうそれだけじゃなしに、3歳(さんさい)のときから神棚(かみだな)の前(まえ)で一人(ひとり)で座禅組(ざぜんく)んでいましたからね。

‐それは自(おのずか)らですか?

そう自(おのずか)らですね。

‐親(おや)に言(い)われて...。

言(い)われてではないですね、自分(じぶん)から喜(よろこ)んで来(き)てんですね。

‐ふつう正座(せいざ)して何時間(なんじかん)も座(すわ)る小(ちい)さい子(こ)はいないですよね。

ところが、それが自然(しぜん)にできて喜(よろこ)んでるのね。だから私(わたし)は小(ちい)さいときから子供(こども)らしさがないとずっと言(い)われてたのね。行儀(ぎょうぎ)はいいんですけど(笑い)。

‐一日何時間(いちにちなんじかん)ぐらい座(すわ)っていたんですか、その三歳(みっつ)のとき?

長(なが)かったら長(なが)い時間(じかん)ですね、でも頭(はじめのころ)は一時間(いちじかん)ほど座(すわ)ってましたね。

‐それが一回(いっかい)ではなくて、2回3回(にかいさんかい)ってのもあるんですか?

そうですね。

お父(とう)さんが、拝(おがみ)みやさんみたいなことをやっているときに、自身(じしん)に病気(びょうき)や事故(じこ)が

あったときにお父(とう)さんが具体的(ぐたいてき)にかかわってきたことがあるんですか?


私(わたし)はあまりないですね、病気(びょうき)とか事故(じこ)とかね。でもいろんな人(ひと)の相談(そうだん)とかを見(み)てますね、みんな。どういう相談(そうだん)できて、神(かみ)がかりでどういう指導(しどう)しているか、客観的(きゃっかんてき)に批判的(ひはんてき)に見(み)てるんですよ。

‐お父(とう)さんが応対(おうたい)しているときに、そこにちょこんといるわけですか?

そうです。

‐そばにいてもかまわなかった?

かまわないんです。

‐あっちへ行(い)けとか言(い)わなかった?

そう、それはないですね。わざと見(み)せてくれてるんだと思(おも)いますけど。だからその神(かみ)がかりする神様(かみさま))はピンからキリまでですね。いろいろ神様(かみさま)はいらっしゃいます。だからそのサニワですか、サニワする力(ちから)をつける為(ため)だと思(おも)うんですけど、どの神様(かみさま)が正(ただ)しくてどの神様(かみさま)が間違(まちが)っているか、見極(みきわ)める力(ちから)を付(つ)けさせるために見(み)せてもらったんだと思(おも)いますどね


‐間違(まちが)った神様(かみさま)も来(き)たことがあるんですか?

ありますよね。おかしなことを言(い)うんですよ(笑い)。

‐どんな?

つまりね(笑いながら)、詰(つ)まらんことを言(い)いますよね。本当(ほんとう)の人生(じんせい)の目的(もくてき)は何(なに)かとか高尚(こうしょう)なことを言(い)わずにね、現実的(げんじつてき)に、どこになにがあるとかね、当(あ)てもん的(てき)なことを言(い)ったり。それが当(あ)たったり当(あ)たらなんだりね。だから、ほんとうの信仰(しんこう)とは何(なに)かというのから見(み)ると、つまらん時間(じかん)つぶしですよ(笑い)。

‐今(いま)、批判的(ひはんてき)な目(め)でと言(い)いましたけど、三歳(みっつ)のころから自分(じぶん)で座(すわ)っていた段階(だんかい)ではお父(とう)さんをわりかし批判的(ひはんてき)に見(み)てるんですか?

いや、別(べつ)に批判(ひはん)するも何(なに)もないんですけどね、客観的(きゃっかんてき)にですね、やっぱり。すべてを客観的(きゃっかんてき)に見(み)せてもらっている。

‐お父(とう)さんの弟子(でし)のような入(はい)り込(こ)み方(かた)をしている?

それはないんですね。全(まったく)くないですね。

‐出来事(できごと)を淡々(たんたん)と見(み)ている?

)なんですよ(笑い)。ぜんぜん逆(さか)らってないですね。ところが親(おや)のほうも神様(かみさま)から止(と)められてるんですね。この子(こ)にはいっさい何(なに)も言(い)うな、とね。

‐お父(とう)さんも言(い)わないかわり、お母(かあ)さんも言(い)わないんですか?

そうですね、だからしかられたことがないんですね(笑い)。...しかられてないですもんね(笑い)。誉(ほ)められたことはありますよ。親(おや)のためにね、親孝行(おやこうこう)やっぱりしてますよね。親(おや)としたらかわいい子(こ)だと思(おも)いますよ、ほんと。なんでもハイハイって聞(き)くでしょ。一生懸命(いっしょうけんめい)お手伝(てつだ)いするでしょ(笑い)。

‐で、お父(とう)さんは放蕩(ほうとう)みたいな状態(じょうたい)だったわけですよね?

若(わか)いときはね。結婚(けっこん)してからはまじめに時計屋(とけいや)をして、子供(こども)を大事(だいじ)に育(そだ)てていたんですね。

‐お母(かあ)さんの方(ほう)は、腹(はら)を立(た)てたり荒(あ)れたりということはないんですか?

ないです。母(はは)はもう小(ちい)さいときにね、親戚(しんせき)の家(いえ)にもらわれていって、そこで男並(おとこなみ)の仕事(しごと)をね、男(おとこ)の3倍(さんばい)ぐらいの仕事(しごと)をしてるんですよ。朝起(あさお)きたらそこは旅館(はたご)の仕事(しごと)をしていてね、はよう3時(さんじ)かそのくらいに起(お)きて、蚕(かいこ)の桑(くわ)の世話(せわ)をしたりね。そのあとお客(きゃく)さんの世話(せわ)をして、いろんな仕事(しごと)をね山(やま)へ木(き)を切(き)りにいったりして、ちゃんとしておいてその後学校(ごがっこう)へ行(い)くんですよね。それも走(はし)っていってね。終(お)わったらすぐに帰(かえ)って、あとまたずっと仕事(しごと)をするんでしょう。だから食事(しょくじ)を立(た)って食(た)べるだけ、座(すわ)って食(た)べたことがないというぐらいでね。それだけ男(おとこ)の人(ひと)の3倍(さんばい)ぐらい働(はたら)いたようです。それでずうっと自力(じりき)で努力(どりょく)すればなんとかなるという我(が)が強(つよ)いんですよ。やっぱり取らんなんもんだったんですけどね。成人(せいじん)するまでそこにいるんですよ。

‐で、結婚(けっこん)したのが二十歳(はたち)ぐらい?

そうですね。

‐結婚(けっこん)して救(すく)われたという感(かん)じですかね?

救(すく)われたというんですか、そこまでしてるから、努力(どりょく)さへすれば何(なん)でもできるという強(つよ)い気持(きも)ちがあったみたいですけどね。でも、自分(じぶん)が努力(どりょく)したらという我(が)の強(つよ)さがあるんですよね(笑い)。意志強固(いしきょうこ)だから・・・その結婚(けっこん)してからがね、ほんとうの修行(しゅぎょう)になったんだと思(おも)いますけど。

‐うーん、今(いま)の一言(ひとこと)は非常(ひじょう)に重要(じゅうよう)なポイントですね(笑い)。己(おのれ)が努力(どりょく)さえすればっていうのが我(が)になっているととらえる人(ひと)が世(よ)の中(なか)には少(すく)ないんですよ。今(いま)はもうご両親(りょうしん)ともおいでにならない?

父(ちち)はもう亡(な)くなって、母(はは)は和歌山(わかやま)で一人生活(ひとりせいかつ)してますけどね。

‐母親父親(ごりょうしん)にかんして何(なに)か言(い)うことがありますか?父(ちち)はこういう人(ひと)であって欲(ほ)しいとか、母親役(ははおややく)はこうであって欲(ほ)しいとか...。

こちらはいっさい無(な)いですね。私(わたくし)にとってはすべてが感謝(かんしゃ)の対象(たいしょう)なんですね。すべては私(わたし)を育(そだ)てるために神様(かみさま)がいろいろ仕組(しく)んでいろんな姿(すがた)を見(み)せ、いろんな体験(たいけん)をさせてもらえたというね。もう全部感謝(ぜんぶかんしゃ)しかないんですけど。

‐お父(とう)さんがこの子(こ)に関(かん)しては何(なに)も言(い)うなという、神様(かみさま)からの指令(しれい)みたいなものをお母(かあ)さんにも伝(つた)わってたんですか?

ええ、もうちゃんとね。

‐じゃお母(かあ)さんも何(なに)も言(い)わない?

言(い)わないですね。

‐で、それは本人(ほんにん)にも伝(つた)えていたんですか?

本人(ほんにん)もちゃんと目(め)の前(まえ)にして言(い)うてくれますからね。一回(いっかい)でないですからね、何回(なんかい)も言(い)ってくれますから。

‐そういう教育(きょういく)も面白(おもしろ)いかもしれませんね。三歳(みっつ)ぐらいの子供(こども)に、俺(ぼく)は言(い)わないから自分(じぶん)で勝手(かって)に考(かんが)えろというのも手(て)かもしれませんね。と、三歳(みっつ)になると座禅(ざぜん)するようになるかもしれないですね(笑い)。

だから、親(おや)にとったら一番(いちばん)かわいい子(こ)だったかもしれないですよね。まあ、男(おとこ)の子(こ)だったというのもありますけどね。でも、他(た)の兄弟(きょうだい)よりも私(わたし)いちばん素直(すなお)でしょ、なんでもハイッて言(い)うんですよ。宝(たから)もんだったですから。

‐幼(おさな)いころからこういう顔(かお)でしたか(笑い)?

小(ちい)さいときは大人(おとな)っぽい顔(かお)だったんです(笑い)。おとうちゃんになって、ちょっと子供(こども)っぽい顔(かお)になったんです(笑い)。

‐それは多少(たしょう)わかります(笑い)。

だからその、行儀(ぎょうぎ)がよくってね、ハイッ、ハイッでしょ。なんでも素直(すなお)にハイッて言(い)って一生懸命(いっしょうけんめい)するでしょ。子供(こども)らしさ、遊(あそ)びがなかったのね。(そのころのよくした遊(あそ)びというとね。昔(むかし)徳用(とくよう)マッチという大(おお)きな箱(はこ)に入(はい)ったマッチがあったのですがそれをね、六畳(ろくじょう)の畳(たたみ)の部屋(へや)にパ−と撒(ま)いてね、それから、一本(いっぽん)づつひらって集(あつ)めてね。そして、徳用箱(とくようばこ)にきれいに、売(う)り立(た)てのときのようにそろえてしまうんですよ。きれいにね・・。)それもね、わたしが幼稚園(ようちえん)に行(い)ってるときまでは、家(いえ)は時計屋(とけいや)で繁盛(はんじょう)してね、いろんな借家(しゃくや)を買(か)ったりして、ある程度(ていど)順調(じゅんちょう)にいってたんですね。で、小学校(しょうがくこう)に上(あ)がりはじめて、また命令(めいれい)が神様(かみさま)からくるんですね。これからほんとうの修行(しゅぎょう)をさせるというね。父(ちち)は滝(たき)に打(う)たれたりして、いろんな人(ひと)の相談(そうだん)を受(う)けては行(ぎょう)をしてるでしょ。そんなもの行(ぎょう)でもなんでもないんだ、と言(い)い切(き)るわけですよ神様(かみさま)は。ほんとうの修行(しゅぎょう)をさせてあげると言(い)うんでね。それからなんですよ、耐乏生活(たいぼうせいかつ)がはじまるんですけどね。

‐つまり耐乏生活(たいぼうせいかつ)が修行(しゅぎょう)になるという?

そうなんです、ハイ。だから借家(しゃくや)をね全部(ぜんぶ)売(う)り払(はら)うんですけどね、その前(まえ)に時計屋(とけいや)をやめなさいと言(い)われるんですよ、まずね。時計屋(とけいや)で順調(じゅんちょう)にいってたのにね。店(みせ)を朝(あさ)の5時(じ)ごろ開(あ)けて出勤(しゅっきん)の人(ひと)のために午前中(ごぜんちゅう)にできるようにしてたのね。だから日(ひ)に10個(こ)ぐらいの修理(しゅうり)があったのよ。順調(じゅんちょう)だったんです。それでお金(かね)ができて借家(しゃくや)も買(か)ったりして。ところがその、時計屋(とけいや)をやめなさいという命令(めいれい)が下(くだ)ると、その日(ひ)から時計(とけい)の修理(しゅうり)もってくる人(ひと)ひとりもいないんですよ(笑い)。その日(ひ)からね。

‐本人(ほんにん)がやめるといわなくても、お客(きゃく)さんがいなくなってしまった?

もう、いなくなるんですね。ひとりもなくなるんですよ。そのうちにね、収入(しゅうにゅう)ないでしょ。まず家(いえ)を売(う)るでしょ。家(いえ)を売(う)ったらお金(かね)もらえへんのです。踏(ふ)み倒(たお)しですね。何(なん)ぼもらいに行(い)ってもくれんですね。逆(ぎゃく)に脅(おど)されるだけよね。これも神(かみ)はからいかもしれんですね。それから家財道具(かざいどうぐ)全部(ぜんぶ)売(う)るでしょ。質屋(しちや)に入(い)れては流(なが)し、全部(ぜんぶ)売(う)ってしまうでしょ。それで売(う)るもんなくなっていくよね。今度(こんど)あと時計(とけい)たくさん置(お)いてあるのね、柱時計(はしらどけい)にしても目覚(めざま)し時計(どけい)にしても、それを時計(とけい)として売(う)れへんのね。買(か)ってくれる人(ひと)ひとりもいないのね(笑い)。それでくず鉄(てつ)に分解(ぶんかい)するのね(笑い)。真鍮(しんちゅう)と鉄(てつ)を分(わ)けるの。私(わたし)もそれしましたよ、一生懸命(いっしょうけんめい)ね。

‐父(とう)さんはそれについて何(なん)で、このちゃんとした時計(とけい)を買(か)ってくれへんのやろう、とは言(い)わなかったんですか?

言(い)わないですね。それもやっぱり、その神様(かみさま)の働(はたら)きの怖(こわ)さというんですかね、身(み)にしみほど味(あじ)わっているんだと思(おも)いますけど。もう絶対(ぜったい)それ、修理(しゅうり)なんぼ頼(たの)み行(い)ってもあかんのですよ。だから時計(とけい)分解(ぶんかい)してくず鉄(てつ)と真鍮(しんちゅう)に分(わ)けましてね、ほれで一切(いっさい)の財産(ざいさん)全部(ぜんぶ)なくすんですよ。それで一年(いちねん)くらいですかね、全部(ぜんぶ)なくなったのは。

‐それは何歳(なんさい)ぐらいのときですか?

小学校(しょうがくこう)上(あ)がったときくらいですね。幼稚園(ようちえん)には、ネクタイ締(し)めて制服(せいふく)着(き)て行(い)ってるわけですよ(笑い)。贅沢三昧(ぜいたくざんまい)...だから苦労(くろう)がわかる時期(じき)というのを選(えら)んでたんだと思(おも)いますけど。あまり小(ちい)さいと苦労(くろう)に負(ま)けるかもしれないけど、ある程度(ていど)耐(た)える力(ちから)というのも必要(ひつよう)なんでしょうね。

‐あのー、神様(かみさま)がこれからほんとうの修行(しゅぎょう)だぞと言(い)ったときに、どんな修行(しゅぎょう)をさせるのか興味(きょうみ)を持(も)って聞(き)いていたんですけど...その山(やま)ごもりで荒行(あらぎょう)みたいなものはどうも神様(かみさま)はほんとうの修行(しゅぎょう)とは認(みと)めていないみたいですね。

そう、生活行(せいかつぎょう)の中(なか)でね...生活(せいかつ)の中(なか)で、何(なに)かを見出(みいだ)さなければだめだったんだと思(おも)いますけど。

‐その神様(かみさま)は本物(ほんもの)のような気(き)がする...。

だからそのね、最初(さいしょ)から親戚(しんせき)を全部(ぜんぶ)なくし頼(たよ)るとこ何(なに)もないでしょ。その上(うえ)に家財道具(かざいどうぐ)全部(ぜんぶ)失(うしな)って、そのあと借金(しゃっきん)しに回(まわ)るんですよ、食(た)べ物(もの)ないからね。50円(えん)借(か)して、100円(えん)借(か)してとね。知(し)り合(あ)いの全部(ぜんぶ)お世話(せわ)した人(ひと)回(まわ)っていくんですね。最初(さいしょ)は貨(か)してくれるんですよ、2回(かい)3回(かい)とはね。そのうちにとまるんですよ。何回(なんかい)行(い)っても貨(か)してくれなくなりますね。もういっさい貨(か)してくれなくなるんですよ。で、そこからなんですよ(笑い)。10年間(ねんかん)。10年間(ねんかん)耐乏生活(たいぼうせいかつ)が始(はじ)まるんですよ。

‐その10年間(ねんかん)の間(あいだ)にお父(とう)さんは、神様(かみさま)について感想(かんそう)を述(の)べたことは無(な)いんですか?

無(な)いですね。

‐それはもう、黙(だま)って黙々(もくもく)と受(う)けていただけ...。

もう、それを受(う)けるしかないというのがね、あるんですね。

‐たとえば、人間(にんげん)の力(ちから)で努力(どりょく)して道(みち)を切(き)り開(ひら)こうとか、どっかに営業(えいぎょう)に行(い)こうとかジタバタはもう一切(いっさい)なしですか?

時計屋(とけいや)をやめろと言(い)われたらどうしようもないですね。その代(か)わり安(やす)い内職(ないしょく)はみんなさせてくれたんです。私(わたくし)ら子供(こども)は全部(ぜんぶ)安(やす)い内職(ないしょく)を一生懸命(いっしょうけんめい)...。

‐ぎりぎり食(た)べられる?

いや、食(た)べられるとは言(い)ってない(笑い)。一食分(いっしょくぶん)買(か)えないんですよ。家族六人(かぞくろくにん)ね、一生懸命(いっしょうけんめい)内職(ないしょく)するんですけどね、一番(いちばん)安(やす)いの選(えら)ばれてするみたいですね。

‐高(たか)いのは飛(と)び込(こ)んでこない?

飛(と)び込(こ)んでこないですね。それも一生懸命(いっしょうけんめい)してもね、これだめだと返品(へんぴん)食(く)らうとね、よけい損害賠償(そんがいばいしょう)取(と)られるような感(かん)じでしょ。お金(かね)にならんかったりね。だから、あの当時(とうじ)お米(こめ)なんか絶対(ぜったい)買(か)えなかったのね。小麦粉(こむぎこ)をね、メリケン粉(こ)と言(い)ったのね、小麦粉(こむぎこ)が一番(いちばん)安(やす)かったんでそれを団子(だんご)にして鍋(なべ)のなかに入(い)れて食(た)べるという、それも一食分(いっしょくぶん)もなかったんです。野菜(やさい)なんかは近所(きんじょ)の畑(はたけ)でできたうちの捨(す)てるところのくず野菜(やさい)をね。貰(もら)って食(た)べてました。あの当時(とうじ)でも6人(6にん)家族(かぞく)だったら少(すく)なくとも2万円(2まんえん)ぐらいいると思(おも)うんですよ。月(つき)の収入(しゅうにゅう)が2千円(2せんえん)です(笑い)。2千円(2せんえん)ね。それもね、家(いえ)が無(な)いんですよ。だから6畳(6じょう)の小屋(こや)を、物置(ものおき)を借(か)りたんです。トタン張(ば)りの穴(あな)のあいてる、冬(ふゆ)は雪(ゆき)が舞(ま)い込(こ)むようなね、雨(あめ)の漏(も)りそうなとこをね。そこを借(か)りて生活(せいかつ)始(はじ)まってるんですね。自分(じぶん)の家(いえ)がなくなったからね。

‐そういう生活)せいかつ)が10年(ねん)ですか?

いや、そこが出発点(しゅっぱつてん)ですけどね。で、その布団(ふとん)も無(な)いんですよね。だからそのときはワラ布団(ふとん)をね、ワラを拾(ひら)ってきて、ごつい布(ぬの)を拾(ひろ)ってきて、それを包(つつ)んでそれを敷布団(しきふとん)ならいいんですけど、掛(か)け布団(ふとん)にしてね。だからそのときには着(き)たきりスズメなんですね。着替(きが)えのシャツ一枚(まい)なかったです。で、繕(つくろ)いの糸(いと)ひとつ無(な)かったですよ。石鹸(せっけん)は無(な)いしね。水(みず)はもらい水(みず)でしょ。電気(でんき)も無(な)いんですよ。でそこから、畑(はたけ)を貸(か)してあげるというとこがあって、そこへ自分(じぶん)たちで家(いえ)を立(た)てて引(ひ)っ越(こ)して住(す)むんですけど、そのときは私(わたし)が小学校(しょうがっこう)の6年(ねん)でしたけど。そのときに自分(じぶん)たちで家(いえ)を作(つく)りはじめるんですよ。掘(ほ)っ立(た)て小屋(ごや)をね。そこでの生活(せいかつ)でも電気(でんき)を引(ひ)くお金(かね)が無(な)いんでランプ生活(せいかつ)ですね。水道(すいどう)なんてもの無(な)いですからね。自分(じぶん)で井戸(いど)を掘(ほ)って、その水(みず)を使(つか)うんですけど。

‐そんな生活(せいかつ)をしていて、何(なに)か感想(かんそう)をもたれなかったんですか?

別(べつ)に苦(くる)しみでもなんでもないんでね。一生懸命(いっしょうけんめい)生(い)きることに喜(よろこ)びを感(かん)じていたんですね。

‐その間(あいだ)も座(すわ)り込(こ)んで座禅(ざぜん)瞑想(めいそう)するということが続(つづ)いていたんですか?

お祈(いの)りは一生懸命(いっしょうけんめい)してますね。時間(じかん)があったらお祈(いの)りしてますよね。

‐お父(とう)さんと一緒(いっしょ)とか、お母(かあ)さんと一緒(いっしょ)とか?

いや、ひとりで。それで内職(ないしょく)が忙(いそ)しいんですね。内職(ないしょく)やりながら学校(がっこう)に行(い)きながらですよ。

‐で、時間(じかん)ができると?

時間(じかん)があったら学校(がっこう)で休憩時間(きゅうけいじかん)でも一生懸命(いっしょうけんめい)座(すわ)ってま)でもなんでもね、校庭(こうてい)へ出(で)てじっと時間(じかん)たつのを待(ま)ってるのね。それがお祈(いの)りの時間(じかん)ですね。ひとりでいてるときはいつもね。

‐それは6年間(ねんかん)ですか?

それも高校(こうこう)まで続(つづ)いてるんですけどね、ほとんど。高校(こうこう)を卒業(そつぎょう)するくらいまで耐乏生活(たいぼうせいかつ)が続(つづ)いているんですけど。だから私(わたし)の姉(あね)なんか、体育祭(たいいくさい)にはいていくブルーマというのが無(な)かったんでいろんな端布(はぎれ)で継(つぎ)はぎの作(つく)ってもらったのはいて行(い)ったら、先生(せんせい)に冷(ひ)やかされてね。日(ひ)の丸(まる)みたいな風車(かざぐるま)はいてるってね(笑い)。そういう若(わか)い先生(せんせい)いとったのね。担任(たんにん)の先生(せんせい)で。それっきり学校(がっこう)行(い)かなくなったこともあるんですよ。

‐小学校(しょうがっこう)6年(ねん)プラス中学校(ちゅうがっこう)3年(ねん)プラス高校(こうこう)3年(ねん)で12年(ねん)ですね。その12年(ねん)の間(あいだ)は一応(いちおう)思春期(ししゅんき)で、若者(わかもの)にとっては反抗期(はんこうき)っていうのが来(き)ますよね。

そうですね、私(わたし)は無(な)いんです。反抗期(はんこうき)っていうのが一切(いっさい)無(な)かったんです。

‐で、その12年(ねん)の昼食(ちゅうしょく)が食(た)べられないということについても、何(なに)かその批判的(ひはんてき)な自分(じぶん)の中(なか)の 自我(じが) みたいなものが出(で)てこなかったんですか?なんで俺(おれ)だけがこうなんだっていうのが無(な)いんですか?

無(な)いんですね。ただ勉強(べんきょう)する時間(じかん)だけが欲(ほ)しかったんですけど。

‐成績(せいせき)はどうなの?

成績(せいせき)はね、私(わたし)はよかったんですよ(笑い)。

‐ほんとうのことおっしゃってみてくださいよ。

うーん、大阪(おおさか)の教育委員会(きょういくいいんかい)から表彰(ひょうしょう)してもらっているし、日本育英会(にほんいくえいかい)から表彰(ひょうしょう)してもらってるしね。
‐ぜんぜん照(て)れなくていいですからね(笑い)。
勉強(べんきょう)は学校(がっこう)だけでね、ほとんど予習復習(よしゅうふくしゅう)して全部(ぜんぶ)覚(おぼ)えていたんでね、成績(せいせき)はいいほうですよね。
‐ほとんどトップクラス?
まあね。
‐じゃあ、小学校(しょうがっこう)のころは神童(しんどう)とか言(い)われた?
だからその、子供(こども)らしさがないと言(い)われた(笑い)。
‐素直(すなお)で、貧(まず)しくても文句(もんく)をいわず...。
二宮金次郎(にのみやきんじろう)というあだ名(な)がね、中学校(ちゅうがっこう)のときずっとついてましたしね。
‐級友(きゅうゆう)たちも貧(まず)しいことは知(し)ってるんですか?
そうです。だからパンを恵(めぐ)んでくれたりするんですけど、私(わたし)は食(た)べてないんですよ。一回(いっかい)これをすると信念(しんねん)が狂(くる)ってしまうような、負(ま)けてしまいそうに思(おも)ってね。もらった分(ぶん)はもらったで、家(いえ)に持(も)って帰(かえ)っていたですね。
‐もう昼飯(ちゅうしょく)は食(た)べないって決(き)めた?
もう食(た)べないって決(き)めないとね、どうしようもないですよね。今日(きょう)食(た)べて、またもらって食(た)べてっていったら信念(しんねん)が狂(くる)ってしまうでしょ?だからもう一切(いっさい)食(た)べないと決(き)めて水(みず)だけ飲(の)んでたのね。
‐それが12年(ねん)続(つづ)いた?
そうですね、だからその間(あいだ)勉強(べんきょう)させてもらってますね。
‐中学(ちゅがく)までは義務教育(ぎむきょういく)ですけど、高校(こうこう)はそうするとお父(とう)さんが無理(むり)して入(い)れてくれた?
 だから授業料(じゅぎょうりょう)も減免(げんめん)、ただで育英会(いくえいかい)のお金(かね)をもらってというね。中学(ちゅがく)のときも教科書(きょうかしょ)なんか全部(ぜんぶ)学校(がっこう)で買(か)ってもらっているんです。だからPTAの会費(かいひ)とかぜんぜん払(はら)えんかったですよ。高校(こうこう)でもね、なんかいるときにお金(かね)ないから持(も)っていけへんのですよ。先生(せんせい)はね、何(なん)でもってけへんのだったとね。忘(わす)れましたとは言(い)えへんのね、正直(しょうじき)に言(い)うと。持(も)ってきませんでしたと言(い)うたら、怒(おこ)られてね(笑い)。
‐高校(こうこう)は普通科(ふつうか)ですか?
 そうですね。ほんとは医学(いがく)を目指(めざ)してお医者(いしゃ)さんになりたかったんですよ。ところが神様(かみさま)の方針(ほうしん)が違(ちが)うんですね。ほんとうのお医者(いしゃ)さんにするのは、お祈(いの)りを加味(かみ)させて本当(ほんとう)の力(ちから)を付(つ)けさせようと思(おも)ったと思(おも)うんですけど。
‐いちおう大学(だいがく)は?
いちおう受(う)けたんです、阪大(はんだい)をね。
‐阪大(はんだい)の医学部(いがくぶ)というのはかなり偏差値(へんさち)高(たか)いじゃないですか?
うーん、私(わたし)は通(とう)ると思(おも)っていたんですけどね(笑い)。絶対(ぜったい)通(とう)ると思(おも)っていたんですけどね。ところがだめですね、やっぱり。
‐それで落(お)ちた結果(けっか)どういうことになったんですか?
いや、別(べつ)になんでもないんですね。やっぱ方針(ほうしん)が変(か)わったんかいう感(かん)じですね。
‐で、どっか別(べつ)の大学(だいがく)を受(う)けた?
いや、そこひとつだけですからね。
‐じゃ、その後(ご)は就職(しゅうしょく)ですか?
いや、就職(しゅうしょく)してないんですよ。私(わたし)はね、人生(じんせい)の目的(もくてき)というものを中学(ちゅがく)のときからものすごく悩(なや)んでいるんですね。人生(じんせい)の目的(もくてき)は何(なに)かって死(し)ぬ思(おも)いして悩(なや)んだんですよ。 
 人間(にんげん)は何(なん)のために生(い)きているのか、何(なん)で生(い)きなければならないのかとね。これがもう私(わたし)にとって一番(いちばん)の問題(もんだい)だったんですよ。中学(ちゅがく)のときにいろんな本(ほん)を読(よ)みあさって、先生(せんせい)に質問(しつもん)してみても答(こた)えが絶対(ぜったい)に得(え)られないんですよね。ほいで自殺(じさつ)してもいいかなという気持(きも)ちになったことが何回(なんかい)もあるんです。そのときに、ひらめくようにね、内(うち)から神様(かみさま)に教(おし)えてもらった言葉(ことば)がね、
 人生(じんせい)の目的(もくてき)を追求(ついきゅう)することを人生(じんせい)の目的(もくてき)にしなさいというね、ひらめきが来(き)てね、それが自殺(じさつ)をくい止(と)めてくれたんですよ。それから人生(じんせい)の目的(もくてき)を追求(ついきゅう)するのを目的(もくてき)にずっと生(い)きているんですよね。だからお祈(いの)りが中学(ちゅがく)のときから拍車(はくしゃ)がかかっているのよね。だから時間(じかん)があったら座(すわ)ってお祈(いの)りしているのよね。
‐そうすると中学(ちゅがく)のときから44,5年(ねん)たった。答(こた)えは出(で)ましたか?
だからそれ、わたしは二十歳(はたち)のときに答(こた)えが出(で)たんです。
‐どのような?
 太陽(たいよう)を見(み)てお祈(いの)りしていたんですね。そのときに自分(じぶん)の体(からだ)が、肉体(にくたい)が消(き)えて魂(たましい)も消(き)えて大(おお)きくなったんですね。感覚的(かんかくてき)にね。ずうっと大(おお)きくなって、大(おお)きい自分(じぶん)に気づいたんですね。そのときにふっと人生(じんせい)の目的(もくてき)わかったんです。直感的(ちょくかんてき)にね。
‐どういう結論(けつろん)になったんですか?
 
だから人生(じんせい)の目的(もくてき)というのは神様(かみさま)の心(こころ)をこの世(よ)に表(あらわ)すことというね、それが人(ひと)の使命(しめい)なんだというね。それまでは肉体(にくたい)を自分(じぶん)と思(おも)うでしょ。魂(たましい)を自分(じぶん)と思(おも)うでしょ。ほんとうの大(おお)きい自分(じぶん)を忘(わす)れていたんですね。
 だから大(おお)きい自分(じぶん)に気(き)づいたときに初(はじ)めて人生(じんせい)の目的(もくてき)が出(で)てきたんです。それまでは、お医者(いしゃ)さんになりたい、人(ひと)を幸(しあわせ)せにしたい、これは目的(もくてき)であるようでないんですね。もし、それしてどうなるんかと考(かんが)えてしまうとね、むなしくなるんですね、みんな。だから肉体(にくたい)の自分(じぶん)とか、魂(たましい)の自分(じぶん)だけをつかんでいたんでは、やっぱりむなしい感覚(かんかく)がね、取(と)れなかったんだと思(おも)いますけど。ほいでほんとうの大(おお)きい自分(じぶん)に気(き)づいたときに初(はじ)めて人生(じんせい)の目的(もくてき)がすうっとわかりましたね。そこからお祈(いの)りの道(みち)がほんとうの意味(いみ)で始(はじ)まっているんですけど。
 その霊的(れいてき)な体験(たいけん)のときに地獄絵図(じごくえず)を見(み)てるのよ。地球(ちきゅう)の未来図(みらいず)というんですか。核戦争(かくせんそう)でほとんどの人(ひと)が死(し)んで、ほんのかたわのような人(ひと)が少し残(のこ)って地獄絵図(じごくえず)のような姿(すがた)ね。それも一(ひと)つの姿(すがた)だと思(おも)いますけど見(み)せられて、さあこれをどうするかという問(と)い詰(つ)められた感(かん)じになってね。
そのときに自分(じぶん)の命(いのち)を捨(す)てて、入(い)れ替(か)えにこの地球(ちきゅう)を救(すく)ってほしいという気持(きもち)ちにさせられたんですね。だから私(わたし)の命(いのち)を神様(かみさま)にあげますから、ともかく地球(ちきゅう)を救(すく)うためにお使(つか)いくださいという気持(きも)ちがそのときに起(お)こってきたんです。
 それが私(わたし)のお祈(いの)りの本当(ほんとう)の意味(いみ)の出発点(しゅっぱつてん)なんですけど。それまでもお祈(いの)りをずっとしてんですよ、小(ちい)さいときからね。
 「ありがとうございます」唱(とな)えているし、延命十句観音経(えんめいじゅっくかんのんきょう)唱(とな)えたり、般若心経唱(はんにゃしんぎょうとな)えたり、ずっとやってるんです。でもそのときから「ありがとうございます」の感謝行(かんしゃぎょう)が始(はじ)まってるんです、ほんとに言(い)うとね。
‐何で「ありがとうございます」と言(い)う気(き)になったんですか?
 それが不思議(ふしぎ)だと思(おも)いますけど、太陽(たいよう)見(み)ながらありがとうございます唱(とな)えていたんです。感謝(かんしゃ)が大切(たいせつ)という意味(いみ)ではないんですね。祈(いの)る言葉的(ことばてき)に唱(とな)えさせられていたんだと思(おも)いますけど。
‐たとえば太陽(たいよう)が物理的(ぶつりてき)に暖(あたた)かいとか明(あか)るいとかそういう意味(いみ)での「ありがとうございます」ですか?
いや、そんなではないですね。自然(しぜん)にさせられてたという感(かん)じですね。
‐で、18で高校卒業(こうこうそつぎょう)して、医学部(いがくぶ)の受験(じゅけん)に失敗(しっぱい)してからは何(なに)をしていたんですか?
うーんだから浪人(ろうにん)という形(かたち)ですけど、新聞配達(しんぶんはいたつ)したりね、いろんなことしながら、いろんな勉強(べんきょう)をしてるんですね。受験勉強(じゅけんべんきょう)だけじゃなしにね、幅広(はばひろく)くいろんな本(ほん)を読(よ)みあさったんですね。その2年間(ねんかん)に痛(いた)みの強(つよ)いね、たとえば散髪屋(さんぱつや)で耳(みみ)の掃除(そうじ)してもらったら、耳(みみ)が中耳炎(ちゅうじえん)か内耳炎(ないじえん)みたいなの起(お)こしましてね、半年(はんとし)頭(あたま)が割(わ)れるような痛(いた)みを味(あじ)わったんですよ。で、次(つぎ)の半年(はんとし)にまたころっと変(か)わってね、反対側(はんたいがわ)。ちょうど一年間(いちねんかん)頭(あたま)の割(わ)れるような痛(いた)みをずっと味(あじ)わったのね。その翌年(よくねん)は、一年間(いちねんかん)胃(い)けいれん。もうのた打(う)ち回(まわ)るような痛(いた)みを一年間(いちねんかん)体験(たいけん)させてもらっているのね。それも新聞配達(しんぶんはいたつ)しながらとか勉強(べんきょう)しながらなんですけど。だから痛(いた)みをそらす意味(いみ)でいろんなこと一生懸命(いっしょうけんめい)してたのね。
‐それは家(いえ)にいて家(いえ)から通(かよ)ってた?
そうですね。家(いえ)からね。
‐十八から二十歳(はたち)の2年間(ねんかん)の間(あいだ)に、お父(とう)さんの方(ほう)は好転(こうてん)しなかったんですか、経済的(けいざいてき)なところが?
もう、ぜんぜんね。贅沢(ぜいたく)はさせてくれへんよね(笑い)。
‐その間(あいだ)も拝(おが)み屋(や)さんみたいのはお父(とう)さんしてたんですか?
ずうっとしてますね。
‐その拝(おが)み屋(や)さんみたいなのでは報酬(ほうしゅう)は貰(もら)わなかったんですか?
いっさい貰(もら)わんのです。
‐それは貰(もら)っちゃいけないから?
神様(かみさま)から止(と)められていますから。お下(さ)がりぐらいはちょっと貰(もら)って帰(かえ)りますけど。いっさい貰(もら)わんのです。
‐報酬(ほうしゅう)を貰(もら)ってたらちょっとは楽(らく)だったかもしれませんね。
そうですね。それがいっさい出(だ)されへんですね。まあ、そこがよかったんだと思(おも)いますけど。
‐二十歳(はたち)ぐらいまでそういう状態(じょうたい)で来(き)て、二十歳(はたち)ぐらいからまあ直感的(ちょっかんてき)にわかった訳(わけ)ですね。
ね、だからそこまで行(い)くまでに耐乏生活(たいぼうせいかつ)が役立(やくだ)ったんだと思(おも)うんですね。感謝行(かんしゃぎょう)ができたっていうのは感謝(かんしゃ)がたまりましたから、一番(いちばん)ね。もう何(なん)でもありがたい。
‐その耐乏生活(たいぼうせいかつ)が強(つよ)ければ強(つよ)いほど、激(はげ)しければ激(はげ)しいほど、何(なに)か人(ひと)に好意善意(こういぜんい)を示(しめ)されたとき喜(よろこ)び大(おお)きいですよね。
大(おお)きいですね。
‐つらいことが多(おお)いほど、実(じつ)は喜(よろこ)びが大(おお)きいんですよ。
そう、それで母(はは)の話(はなし)でね、努力(どりょく)ね、我(が)が強(つよ)いという話(はなし)をしましたけど、その耐乏生活(たいぼうせいかつ)の間(あいだ)みんな命(いのち)がけで努力(どりょく)しているんですよ。人(ひと)の何倍(なんばい)も働(はたら)いてね。中学生(ちゅうがくせい)の私(わたし)らも一生懸命(いっしょうけんめい)働(はたら)いているんですよ。内職(ないしょく)一生懸命(いっしょうけんめい)してるんですね。それで努力(どりょく)して努力(どりょく)してどうしてもうまくいかんのですよ。どれだけ努力(どりょく)しても生活(せいかつ)がうまくいかんのです。そういう体験(たいけん)を10年(ねん)近(ちか)くするとね、
 やっぱり自分(じぶん)の努力(どりょく)やなしに必要(ひつよう)なものは神様(かみさま)から与(あた)えられて働(はたら)いているんだなと、どうしても気(き)づくしかなくなってくるんですよ。
‐で、二十歳(はたち)ぐらいからは、今度(こんど)は自分(じぶん)の大(おお)きさが大(おお)きくなって...。
 そうです。今度(こんど)は地球(ちきゅう)を救(すく)うために地球(ちきゅう)の滅亡(めつぼう)を防(ふせ)ぐためにという、そのための生(い)き方(かた)に変(か)わったんですけど。そのときから、今(いま)までも断食(だんじき)はしょっちゅうしてるんですけど、本格的(ほんかくてき)に断食(だんじき)始(はじ)めましたね。まずね、いろんなところでアルバイト的(てき)に働(はたら)いているんです、たくさんね。だから朝昼晩(あさひるばん)働(はたら)いたりね。いろいろ働(はたら)いてその資金(しきん)を平和運動(へいわうんどう)に使(つか)うというね、真理(しんり)の本(ほん)を買(か)って人(ひと)に配(くば)ったり、そういうことで私(わたくし)は生活費(せいかつひ)のために一円(いちえん)も使(つか)ってないんです。働(はたら)いたお金全部(おかねぜんぶ)ね。ほれでお祈(いの)りが一番大事(いちばんだいじ)だということで、その合間(あいま)をぬって命(いのち)がけのお祈(いの)りね、ずうっとさせてもらってたのね。
だから時間(じかん)のないときほど真剣(しんけん)になれるというね、お祈(いの)りでも。時間(じかん)があってするお祈(いの)りはやっぱり甘(あま)くなりますよね。
 だから時間(じかん)のないところで寸暇(すんか)をぬってお祈(いの)りするという、真剣(しんけん)なお祈(いの)りというのがやっぱり私(わたし)にとってはプラスになったのね。だから睡眠時間(すいみんじかん)を割(さ)いて、寝(ね)る時間(じかん)を割(さ)いて、お祈(いの)りの時間(じかん)を生(う)み出(だ)したのね。それでも日(ひ)に5時間(じかん)は最低(さいてい)祈(いの)ってたのね。 
 あとは祈(いの)りながらいろいろさせてもらってたんですけど。お祈(いの)りだけっていうのは5時間(じかん)ね、命(いのち)がけでやってたんですけど。
‐で、二十歳(はたち)のときに目覚(めざめ)めてからは当然(とうぜん)経済的(けいざいてき)なことも考(かんが)えるわけですよね。それはいろんなことをやったんですか?
 それは、生活(せいかつ)のために働(はたら)いてないんでね私(わたし)は。平和運動(へいわうんどう)のためだけに働(はたら)いたんですけど、収入(しゅうにゅう)を得(う)るのはね。そらいろんなアルバイトいっぱいしましたけど。
 だから自分(じぶん)の命(いのち)は神様(かみさま)に捧(ささ)げたというね、だから神様(かみさま)のためだけに生(い)きて死(し)ぬんだったらもう本望(ほんもう)だと思(おも)ってたんですよ。
‐それは人(ひと)にかけあってお金(かね)を集(あつ)めるということではなくて、自分(じぶん)で働(はたら)いたお金(かね)を平和運動(へいわうんどう)に使(つか)うということですか?
 そうです。だから真理(しんり)の本(ほん)買(か)って人(ひと)に与(あた)えるんだったら、それを買(か)う金(かね)を全部(ぜんぶ)自分(じぶん)で働(はたら)いてしないと人(ひと)から恵(めぐ)んで貰(もら)ったお金(かね)だと現実(げんじつ)の生活(せいかつ)から逃(に)げているようになって生(い)き方(かた)がずるいし誰(だれ)もね、まねしてもくれへんでしょ。だからまず自分(じぶん)がと思(おも)ってね、一生懸命(いっしょうけんめい)働(はたら)いたんですけど。
‐それはどのくらい続(つづ)いたんですか?
ずっと三十歳(みとせ)くらいまでですね。
‐で、周(まわり)りの人(ひと)は何(なに)も言(い)わなかったんですかね、父親(ちちおや)、母親(ははおや)、お姉(ねえ)さん、妹(いもうと)さんも?
 心配(しんぱい)してると思(おも)いますよ。だから月(つき)のうち3週間(しゅうかん)断食(だんじき)しました。残(のこ)り1週間(しゅうかん)あまり何(なに)か食(た)べるでしょ。だから断食(だんじき)終(お)わったら何(なん)でも食(た)べてましたね。予備断食(よびだんじき)とかそういうものはないですよ。今日(きょう)から食(た)べないと思(おも)ったら何(なに)も食(た)べないでしょ。今日(きょう)から食(た)べてみようと思(おも)ったら何(なん)でも食(た)べてみるんですね。それが10年(ねん)ほど続(つづ)いていますね。
‐自分(じぶん)で稼(かせ)いだお金(かね)を全部(ぜんぶ)平和運動(へいわうんどう)に使(つか)って三十歳(みとせ)くらいのときに何(なに)か転機(てんき)があるんですか、結婚(けっこん)したとか?
そうね、あのー、私(わたし)菜食主義的(さいしょくしゅぎ)をしてるときもね、なんでも徹底(てってい)しとって何(なん)でもいいかげんにしたくないという気持(きもち)ちが強(つよ)くってね、小(ちい)さいときからね(マッチ棒(ぼう)そろえるあそびのときも)。だから断食(だんじき)もね、食(た)べないんだったら食(た)べなくてもという気持(きもち)ちも残(のこ)ってたんですね。だから丸薬(がんやく)みたいのが一つあってね、一年(いちねん)くらい持(も)てばいいのにと思(おも)ってたんですよ(笑い)。
‐そのうちそうなるでしょ(笑い)。
もう食(た)べる時間(じかん)がもったいないという感覚(かんかく)が残(のこ)ってたんですね...で私(わたし)、断食最後(だんじきさいご)に100日(にち)したんですよ。仕事(しごと)しながらね。
‐100日(にち)断食(だんじき)すると体(からだ)に腐敗臭(ふはいしゅう)が漂(ただ)いませんか?
いや腐敗臭(ふはいしゅう)よりも体(からだ)が動(うご)かなくなるんですね。その最後(さいご)にはね、今日(きょう)は仕事(しごと)にっていうときに歩(ある)いていってね、もう呼吸(こきゅう)止(と)まってしまうのね。呼吸(こきゅう)止(と)まったままで家(いえ)へ帰(かえ)っているんですよ。不思議(ふしぎ)ですね、あれ(笑い)。だから、そのときにね私(わたし)、胸全部(むねぜんぶ)だめだったですよ。心臓(しんぞう)がこの(へん)にきてですね、肺(はい)がなかったのですよ。それでも頑張(がんばって)って仕事(しごと)をしながら一生懸命(いっしょうけんめい)いてるんですね。
‐えっ、断食(だんじき)しながら仕事(しごと)をしてるんですか?
そうです。ずっとそうですよ。だから100キロくらいの荷物(にもつ)もってね、運(はこ)んでたりね、いろいろやってるんですよ。ちから(氣)は強(つよ)かったんですよ。ふつう3人(にん)ぐらいで担(かつ)ぐような100キロぐらいの荷物(にもつ)でもね、私(わたし)ひとりで階段(かいだん)上(あが)り下(お)りして運(はこ)んでいましたからね。
‐食(た)べないから力(ちから)が出(で)ないというのは全(まった)く違(ちが)うんですね。
そうじゃないみたいですね。気力(きりょく)みたいですね(笑い)。まあ、変(か)わりもんはいてますよ(笑い)。
‐同(おな)じ断食(だんじき)するにしても、今(いま)の断食(だんじき)はほととんど何(なに)もしませんから、毎日(まいにち)寝(ね)て、座(すわ)って、講義(こうぎ)を聞(き)いてという断食(だんじき)ですよね、断食道場(だんじきどうじょう)というのは。働(はたらき)きながら断食(だんじき)する人(ひと)っていないですよね。
私(わたし)の場合(ばあい)ずっと働(はたら)きながらなんですよね。やっぱりある程度(ていど)ね、自分(じぶん)の限界(げんかい)も知(し)りたいし、神様(かみさま)の護(まもり)りがどれだけあるか試(ため)したいしというところがありましたね。だからいろんな神様(かみさま)が止(と)めにくるんですよ。断食(だんじき)は間違(まちが)っているとかね、神(かみ)の恵(めぐ)みをけなすのかとかね(笑(わら)い)。やっぱり断食(だんじき)は正(ただ)しい生(い)き方(かた)ではないですからね。でも自分(じぶん)はある程度(ていど)はやってみたいというところがあるんですよね、限界(げんかい)をね。
‐好(この)みでやるのはいいみたいですよ(笑(わら)い)。苦行(くぎょう)として、修行(しゅぎょう)として受(う)けるのはだめみたいですけどね。自分(じぶん)の好(この)みで好(す)きでやるのはいいみたいですね。
だから苦(くる)しみがなかったんですね。打(う)ち勝(か)つ喜(よろこ)びのほうが強(つよ)かったですね。断食(だんじき)しててもこれだけできたという。
‐心臓(しんぞう)が止(と)まって家(いえ)に帰(かえ)ってきた時(とき)に...。
いや、心臓(しんぞう)は止(と)まっていない、呼吸(こきゅう)ができなかったんですね。もう吸(す)うも吐(は)くもできなかったですね。
‐で、三十(みとせ)くらいまでそういう生活(せいかつ)を10年(じゅうねん)続(つづ)けていて、三十(みとせ)くらいから何(なに)か転機(てんき)というか?
もうここまで来(き)たらもういいかなという感(かん)じですね。あとはもう自然(しぜん)に任(まか)せようというね。なんでもハイッて受(う)けてみようという気(き)に変(か)わったんですね。それまでは結婚(けっこん)なんか考(かんが)えてなかったのね。一生(いっしょう)独身主義(どくしんしゅぎ)でしたね、あのときはね。三十(みとせ)ぐらいから気持(きもち)ちが自然体(しぜんたい)になったんですね。だからもう何(なん)でも食(た)べるっていう、人(ひと)でも食(く)うってぐらいね(笑(わら)い)。そうとう変(か)わったのね。肉(にく)でもなんでも食(た)べるようになったんですけど、それまで食(た)べたくないでしたね。受(う)けつけなかったですね、あまり。
‐その点(てん)はやっぱり、あるトンネルを通(とお)り過(す)ぎた人(ひと)の感覚(かんかく)ですよね。菜食主義(さいしょくしゅぎ)とか玄米主義(げんまいしゅぎ)にこだわっているうちはまだですね...ほんとはこのトンネル抜(ぬ)けると何(なん)でもありなんですよ。何(なん)でも食(た)べられる。全部(ぜんぶ)ありがとうと言(い)って食(た)べられる。多分(たぶん)それが本筋(ほんすじ)だと思(おも)うけど。
 ねー、だから断食(だんじき)が何(なに)も食(た)べないんじゃなしに、ものっていう、つかんだものを食(た)べなくなったっていうね、神様(かみさま)の命(いのち)として生(い)かしてもらうという一念(いちねん)でいけるならね、何(なん)でも断食(だんじき)なんだと思(おも)えばね、(食欲(しょくよく)で食(た)べるんじゃなく命(いのち)を感謝(かんしゃ)で受(う)ける)という意味(いみ)で断食(だんじき)している。)。
‐結婚(けっこん)されたのはいつですか?何歳(なんさい)のとき?
何歳(なんさい)か忘(わす)れてしまった(笑(わら)い)。
‐三十二、三?
うーん、そうですね...(笑い)。
‐あのー、事実関係(じじつかんけい)をいちおうきちんと(笑い)。
 うーん、知(し)り合(あ)いの人(ひと)にね紹介(しょうかい)されて、何人(なんにん)か名前(なまえ)をまず言(い)ってもらったのね。何人(なんにん)か候補(こうほ)をあげてもらったんです。私(わたし)はもう名前(なまえ)見(み)てね、わかるもんでね。はい、この人(ひと)と決(き)めたんですけど。
‐指(さ)さされた方(ほう)は迷惑(めいわく)ということはないんですか(笑い)?そんな勝手(かって)なとか。
たぶんね、キツネにつままれた感覚(かんかく)で結婚(けっこん)してると思(おも)うのですけど。もうすぐに式(しき)あげてますからね。
‐奥(おく)さんの方(ほう)はいくつだったんですか?そのとき(笑い)。
一(ひと)つ上(うえ)なんですよ。
‐それで名前(なまえ)を見(み)ただけでっていうのは全然(ぜんぜん)会(あ)ってはいないときだった...。
私(わたし)はもう会(あ)わなくってもだいたいわかるんです。名前(なまえ)だけでね。この人(ひと)こんなんというね。波(なみ)感(かん)じるというんですか。
‐で、奥(おく)さんの方(ほう)からすると何(なに)をやってるかわけのわからない人(ひと)ですよね(笑い)?その人(ひと)から結婚(けっこん)しようよと言(い)ってきたわけですよねそのときにどう思(おも)ったんですか(笑い)?そのときにはすでに名(な)の売(う)れた人(ひと)だったんですか?
 有名(ゆうめい)でもなんでもないでしょ。お金(かね)はない、頭(あたま)の毛(け)は薄(うす)いしね。いいとこ何(なに)もないですよね。
‐それでいきなり嫁(よめ)さんにすると言(い)ってきたわけですよね。
(奥(おく)さんが何(なに)か言(い)う)
‐ほう、目(め)がきれいだった!いい話(はなし)ですね。
 だからデートみたいな形(かたち)でね、私(わたし)はやっぱり結婚(けっこん)しても贅沢(ぜいたく)させると言(い)わなかったのね。私(わたし)は清貧(せいひん)に甘(あま)んじて生(い)きますから、ついて来(き)なさいと(笑い)。だから私(わたし)も収入(しゅうにゅう)がないでしょ。貯金(ちょきん)なんか一(ひと)つもないものね。だから結婚式(けっこんしき)の費用(ひよう)まで出(だ)してもらってますよ。
‐奥(おく)さんが向(む)こうから指名(しめい)を受(う)けたときはどういう感(かん)じだったんですか?人(ひと)づてにこの人(ひと)があんたと結婚(yけっこん)したがっているよと言(い)うわけですよね?
(奥(おく)さん)会(あ)ったときに「決(き)めてます」と言(い)われて...。
‐初対面(しょたいめん)のときにそう言(い)われたんですか?もう決(き)めてますと。
ええ。
‐「私(わたし)にも選(えら)ぶ権利(けんり)はあるわ」とか(笑い)。いままで私(わたし)がいろんな人(ひと)に会(あ)ってきて、いい仕事(しごと)をしている男(おとこ)にはね、いい妻(つま)がついてますよ。やっぱりただものじゃない妻(つま)がいるんです。ただものじゃない夫(おっと)にはただものじゃない妻(つま)がついている。まあ、奥(おく)さんは夫(おっと)に対(たい)して迷惑(めいわく)ばかりかけたっていうふうに思(おも)いながら25年(ねん)ぐらい付(つ)き合(あ)っているわけですか。ああ、夫(おっと)のほうからはいろいろ与(あた)えてくれる?ああ、いい夫婦関係(ふうふかんけい)ですね、それって。
私(わたし)はもう最高(さいこう)のものを持(も)ってますよ、悟(さと)りというね。だからそれを与(あた)えたいということで一生懸命(いっしょうけんめい)ね。ほんとうの幸(しあわ)せはしっかり握(にぎ)ってますからね。この世(よ)のもんでなしに、永遠(えいえん)のほんとうの幸(しあわ)せをつかんでますからね。
‐まともに働(はたら)いていない夫(おっと)というものを持(も)った妻(つま)は(ソクラテスの奥(おく)さんがソクラテスの頭(あたま)に水(みず)をぶっかけた逸話(いつわ)を話(はな)して)そのようなことをすると思(おも)うんです。でも奥(おく)さんはちょっと違(ちが)うんですね。たくさんのものを頂(いただ)いていると思(おも)うんですね。
 だから私(わたし)の場合(ばあい)はね、もう必要(ひつよう)なものは神様(かみさま)から直接(ちょくせつ)頂(いただ)きますでしょ。だから必要(ひつよう)なものはちゃんと与(あた)えてくれるんですよ。私(わたし)はもう命(いのち)を神様(かみさま)に捧(ささ)げているかぎりね、面倒(めんどう)見(み)てもらわないと困(こま)りますよね。だからその点(てん)では私(わたし)は自信(じしん)があるんです。絶対(ぜったい)面倒(めんどう)見(み)てくださるというね。だから妻(つま)のことも子供(こども)のことも私(わたし)一切(いっさい)何(なに)もしてないですけどね。もう全部(ぜんぶ)神様(かみさま)が面倒(めんどう)見(み)てくれるというのが、信念(しんねん)としてありますよね。だから子供(こども)のために何(なに)か買(か)ったりせいへんのですよ。ほったらかしゆうかね。それでもちゃんとね必要(ひつよう)なものは与(あた)えてもらって、立派(りっぱ)に育(そだ)ててもらっているというかね。
‐お子(こ)さんは何人(なんにん)いらっしゃるんですか?
二人(ふたり)。
‐後(うし)ろにいる子供(こども)がそうですか?ちがう?もっと大(おお)きい。二十歳(はたち)ぐらい。
もう大学(だうがく)出(で)てますから。
‐それで結婚(けっこん)してからは生活(せいかつ)して職(しょく)を持(も)って働(はたら)いているわけですよね?
そうです。
‐それは独身(どくしん)のときは稼’かせ)いだお金(かね)はすべて平和運動(へいわうんどう)に費(つい)やしているわけですよね。結婚(けっこん)してからは?
 同(おな)じなんです(笑い)。結婚(けっこん)してからもね、生活(せいかつ)のために使(つか)ってないんです。ぜんぶ平和運動(へいわうんどう)に使(つか)ってるんです。
‐生活費(せいかつひ)は?
ないんです。ゼロ(笑い)。ぜんぶ使(つか)ってしまうんです。だから保養所(ほようしょ)で二人(ふたり)で働(はたら)いててもね、お給料(きゅりょう)全部平和運動(ぜんぶへいわうんどう)に使(つか)ってしまうんです。ないんです、ゼロ。生活費(せいかつひ)ゼロできているんです。
‐食(た)べるのはどうするんですか?
いや、だからね、神様(かみさま)まかせというか、開(ひら)き直(なお)っていますでしょ。だから必要(ひつよう)なものは食(た)べもんでもどっかから貰(もら)うんです。
‐その生活(せいかつ)が24,5年(ねん)続(つづ)いている
 もうずっとです。今(いま)までずっとです。結婚(けっこん)してからの方(ほう)がまだゆるやかかもしれませんがね、今(いま)の方(ほう)がもっと厳(はげ)しい気持(きもち)ちで生(い)きてますけど。
もうお祈(いの)りだけにね、もう徹底(てってい)してね、飢(う)え死(じ)にして餓死(がし)してもそれでいいと思(おも)ってますから。もし妻子(さいし)がそれで餓死(がし)するんだったらそれでもいいと思(おも)ってますから
‐ありがとう村(むら)の歴史(れきし)というのはいつ頃(ごろ)から始(はじ)まるんですか
大阪(おおさか)から滋賀県(しがけん)に来(き)たのは保養所(ほようしょ)の管理者(かんりしゃ)でね、来(き)てるんです。民間(みんかん)の一企業(いちきぎょう(わたくし))の管理(かんり)の仕事(しごと)でね。だからそれもお祈(いの)りだけをしたいという気持(きもち)ちが強くってね、お祈(いの)りの時間(じかん)をたくさん取(と)れる方(ほう)がいいんで、保養所(ほようしょ)の管理(かんり)だったら縛(しば)られないんでね。
‐結婚(けっこん)したときはどこだったんですか?
大阪(おおさか)。
‐それが何年間(なんねんかん)か結婚生活(けっこんせいかつ)が続(つづ)いてから、保養所(ほようしょ)の管理人(かんりにん)になったのはいつぐらいのとき、4,5年後(ねんご)?
そうですね。もうちょっと後(あと)かな。23年(ねん)ぐらい前(まえ)ですからね。
ということは1977年(ねん)ごろということですか。23年(ねん)ぐらい前ということは結婚(けっこん)して3年ぐらいですね。それで保養所(ほようしょ)の管理(かんり)をやりながら、お一人(ひとり)でお祈(いの)りの日々(ひび)が続(つづ)くわけですか?
 それまでも私(わたし)はずうっと二十歳(はたち)からね、お祈(いの)りで人(ひと)の病気(びょうき)治(なお)したりね、ずうっとしてるんですよ。もう夜中(よなか)まで電話(でんわ)で頼(たの)まれて日(ひ)に何十人(なんじゅにん)てね。もう二十歳(はたち)からずうっとお祈(いの)りで人助(ひとだす)けをしてきてるんです。で、肺結核(はいけっかく)で強制入院(きょうせいにゅういん)させられたときもね、私(わたし)が入院(にゅういん)してるでしょ。絶対安静(ぜったいあんせい)で寝(ね)てるでしょ。ところが相談者(そうだんしゃ)がどんどん来(く)るでしょ(笑い)。要(よう)するに相談者(そうだんしゃ)が来(き)て病気治(びょうきなお)してもらって助(たす)かっていくでしょ(笑い)。だから入院中(にゅういんちゅう)は休憩(きゅうけい)させてもらったんかなという感(かん)じでしたけど。
‐病室(びょうしつ)でもやっぱりお祈(いの)りをするんですか?この人(ひと)のためにとか。
 私(わたし)は自然体(しぜんたい)なんですよ。形(かたち)がないんですね。もう心(こころ)の中(なか)だけで、目(め)を開(あ)けていてもお祈(いの)りなんですよ。みんな悟(さと)っているというね、無限(むげん)に輝(かがや)いているという輝(かがや)きだけだけど、だいたいね、そういう感(かん)じなんですけど。ただプラス、プラスと思(おも)っているうちにね勝手(かって)に病気治(びょうきなお)っていくんですよ。
‐それで管理者(かんりしゃ)をやってたのが10年(ねん)くらいですか?
 そうですね、はい。
‐10年(ねん)ぐらいというと四十四、五になるわけですか?
 その後ね、他の保養所(ほようしょ)に移(うつ)るかどうかと言(い)われたんですけど、もうその時点(じてん)で職業全部捨(しょくぎょうぜんぶす)てようと思ったんですね。平和運動(へいわうんどう)のためのお金(かね)を生(う)む仕事(しごと)も全部捨(ぜんぶす)ててお祈(いの)りだけに絞(しぼ)り込(こ)んだんです。
‐四十七、八(よんじゅうしちはち)ぐらいのときですね?
 はい。そのときもひとつね、ほんとに餓死(がし)するかもしれんと思(おも)いますよね。家族全部(かぞくぜんぶ)餓死(がし)してもかまわんと思(おも)ったですよ。お祈(いの)りだけしててみんなが死(し)するんだったらそれでいいと思(おも)ってね、ほれで全部捨(ぜんぶす)てたんですね。それだけしかしないというね。
‐そのときに妻(つま)の意見(いけん)というのは求(もと)められなかったんですか?
 ないですよ(笑い)。相談(そうだん)も何(なに)もしませんよ。だから私(わたし)はもうね、命(いのち)を全部(ぜんぶ)神様(かみさま)にあずけてるんで、神様(かみさま)の心(こころ)が私(わたし)の心(こころ)に入(はい)ってきてね、決(き)めてくれると思(おも)いますんでね。今(いま)がもう全部(ぜんぶ)捨(す)てきるチャンスと思(おも)ったんですね。
‐その子供(こども)がいる身(み)である妻(つま)としては何(なに)か言(い)いたいことはなかったんですか?それももうそのまんま全部受(ぜんぶう)け入(い)れる?すべて神(かみ)の みちから みいのち みひかり ...はあ...実例(じつれい)としてもすごいですね。
でも、その後(あと)がね、もう必要(ひつよう)なものがとんとん拍子(びょうし)に全部(ぜんぶ)整(ととの)えてもらうんですよ。家(いえ)にしてもね。お金(かね)も何(なに)もないのに家(いえ)ができるわ、必要(ひつよう)なものが全部(ぜんぶ)集(あつ)まるわでしょ。だからお金(かね)あって何(なに)かするんではないのね。何(なに)もないところで必要(ひつよう)なものが集(あつ)まってきていつのまにか出来(でき)上(あ)がってますよ。だからここも全部(ぜんぶ)そうなんですよ。
‐職(しょく)も捨(す)てて保養所(ほようしょ)の管理人(かんりしゃ)も辞(や)めてからここができたんですか?
ここじゃなくて、もひとつ近江八幡(おうみはちまん)の方(ほう)に...。
‐それは何(なん)年(ねん)ぐらいなんですか
そこにも十年(ねん)ほどね。ここは5年余(ごねんあま)りですね。
‐近江八幡(おうみはちまん)でもありがとう村(むら)を名(な)のってたんですか?
いや、名(な)のってません。私(わたし)はもういっさい自分(じぶん)を出(だ)さないで名(な)も名(な)のらず名無(ななし)しの権兵衛(ごんべえ)でね、誰(だれ)が何(なに)をしているのかわからんようにしてますから。
‐近江八幡(おうみはちまん)の方(ほう)でも人(ひと)が来(き)てたんですか?
はい。それであちこちへね。座談会(ざだんかい)でお話(はなし)に行(い)ったりね。全国(ぜんこく)飛(と)び回(まわ)ってましたから。
‐で、ここが手(て)に入(はい)ったいきさつというのはどうなんですか?
その近江八幡(おうみはちまん)のところをね、ちょうど阪神大震災(はんしんだいしんさい)の一年前(いちねんまえ)ですよ。とつじょ地主(じぬし)さんが出(で)て行(い)けっていうね、もう気持(きもち)ちがガラっと変(か)わったんですね。不思議(ふしぎ)と。それがきっかけで、ここを与(あた)えてもらったような感(かん)じですね。だから、それも阪神大震災(はんしんだいしんさい)の大(おお)きい業(ごう)を背負(せおう)う役目(やくめ)だったように思(おも)いますけどね。軽(かる)くするために。
 だから私(わたし)はもう予知的(よちてき)に、あの地震(じしん)は日本(にほん)の人口(じんこう)の半分(はんぶん)は死(し)ぬかなと思(おも)うくらいのね、凄(すご)い大地震(だいじしん)がね起(お)こる可能性(かのうせい)があると思(おも)ってたんですよ。日本(にほん)が真(ま)っ二(ぷた)つに割(わ)れてね、だからそれを神様(かみさま)がどれくらい軽(かる)く済(す)ませてくれるか一生懸命(いっしょうけんめい)お祈(いの)りしてた時期(じき)だったんですけど。
‐近江八幡(おうみはちまん)とここは大分距離的(だいぶきょりてき)に離(はな)れてるし、山越(やまご)えなしくちゃいけませんよね。ここに縁(えん)があったというのはどういう?どういう不思議(ふしぎ)が積(つ)み重(かさ)なってここを手(て)に入(い)れることになったのか...。
まあお金(かね)がないですからね。まず現実的(げんじつてき)にお金(かね)も何(なに)もないですからね。安(やす)いとこが欲(ほ)しかったんですね。過疎村(かそむら)、ただで入(はい)れるようなとこがね。それで過疎村(かそむら)を探(さが)そうというんでね、あちこち探(さが)してもらったんですね。
‐そしたらここがたまたま...?
これもまあ、みんな神(かみ)はからいでなっていくんでしょうけど。ちゃんとここが手(て)に入(はい)るように現(あrわ)れてきて。だからここもけっこうお金(かね)がかかったんですけど。土地代(とちだい)がね。それもすっと入(はい)ってきたお金(かね)がすっと流(なが)れていくような形(かたち)でね、ちゃんと買(か)えたんですけど。
‐どのくらい広(ひろ)さあるんですか?
これ実質六反(じっしつろくたん)ほど。
―六町(ろくちょう)?
六反(たん)。1800坪(つぼ)。
‐じゃあ、何千万(なんぜんまん)とお金(かね)かかってますね。土地代(とちだい)だけでね。何百万(なんびゃくまん)じゃないですね。けっこうお金(かね)があったということですか?
 だからそれが不思議(ふしぎ)ですよね(笑い)。不思議(ふしぎ)なのがそこなんですよ。だから建(た)てるにしてもね、材料(ざいりょう)ようけいるじゃないですか。こんだけ建(た)てるいうたらね。それがいつのまにか自然(しぜん)にすうっとね。廃材(はいざい)にしてもなんにしても集(あつ)まるでしょ。だから短期間(たんきかん)でさっと出来上(できあ)がるわけでしょこれが。震災(しいさい)の復興(ふっこう)みたいなもんですよ(笑い)。一年(ねん)半(はん)ぐらいで移(うつ)ってきたのかな、こっちへね。それから5年(ごねん)ちょっとたつものね、移(うつ)ってきてから。
‐あのー「ありがとう」をですね、これは事実(じじつ)の話(はなし)として5万回(ごまんかい)ぐらい「ありがとう」を言(い)うといろんな奇跡(きせき)が始(はじ)
まるという現象(げんしょう)があっちこっちにあるんですよ。意外(いがい)と奇跡(きせき)と呼(よ)ぶしかないやつですね。全然(ぜんぜん)治(なお)らなかったアトピーの子供(こども)が「ありがとう」5万回(まんかい)ぐらいになったら突然治(とつぜんなお)っちゃったとか、いろんなことがある。で、ありがとうを毎日(まいにち)5万回(まんかい)言(い)っているという話(はなし)なんですけど、毎日(まいにち)5万回ですか?

 もうずうっとですからね、二十歳(はたち)ぐらいからある程度(ていど)、三ヶ月間(さんかげつかん)に限(かぎ)ってずうっと続(つづ)けるとかね、そういう練習(れんしゆう)はしましたね。
‐ああ365日(にち)同(おな)じ状態(じょうたい)でずっと続(つづ)けるんじゃないんですか?
 だからその期間(きかん)区切(くぎ)って命(いのち)がけでやるんですよね。一年間続(いちねんかんつづ)けてとなると甘(あま)くなりますからね。三ヶ月(さんかげつ)だけはもうありがとうを唱(とな)え続けるとかね。そういう訓練(くんれん)をずっと二十歳(はたち)ぐらいからね。だからそのときに不思議(ふしぎ)なことをいっぱい体験(たいけん)してますよね。雨(あめ)に一年(ねん)あわなかったとかね。雨(あめ)がさっと止(や)んでね、建物(たてもの)に入(はい)ったらさっと降(ふ)ったりとかね。電車(でんしゃ)とかバスのダイヤが私(わたし)に合(あ)わせて全部(ぜんぶ)変(か)わってしまうとかね。
‐その二(ふた)つの例(れい)は聞(き)いたんですけど、それ以外(いがい)に現象(げんしょう)を聞(き)きたいんですけど。
 それは一生懸命(いっしょうけんめい)「ありがとうございます」唱(とな)えると病気(びょうき)なんかぱっと治(なお)るでしょ。必要(ひつよう)なものはぱっと入(はい)ってくるでしょ。それはもう数(かぞ)えたらきりがないですよね。うーん、でもありがとうございますをね、一生懸命(いっしょうけんめい)となえはじめて最初(さいしょ)はそのおかげをねらう心(こころ)がちょっとあるんですね。天気(てんき)が続(つづ)いて欲(ほ)しいとか、病気(びょうき)が治(なお)って欲(ほ)しいとかね。何(なん)でも願(ねが)いをかなえてほしいというところがあるんですけど、そのうちにだんだん消(き)えてしまうんです、そういうのがね。もういっさい何(なに)もいらないというね、もっともっと奥(おく)の姿(すがた)を実感(じっかん)したいという。ほんとうの意味(いみ)でね。
 だから現実(げんじつ)を受(う)けるよりもお祈(いの)りで神様(かみさま)の与(あた)えてくれる、すばらしいプレゼントを受(う)ける方(ほう)がもっと実質的(じっしつてき)に中身(なかみ)のあるものですね。
 だからもう今(いま)こうして話(はなし)してても現実(げんじつ)見(み)てるよりも、輝(かがや)いている方(ほう)を見(み)てるんですよ。みんな光(ひかり)り輝(かが)いているというふうにね。そっちの方(ほう)を一生懸命(いっしょうけんめい)受(う)けてるんです。
 だからみんな悟(さと)っているんだという、みんな無限(むげん)に輝(かがや)いているというふうね。ありがとうございますって一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)、新(あら)たな受(う)け直(なお)しだけをさしてもらって感謝(かんしゃ)ばかりしているという感覚(かんかく)なんですけど。
‐たとえば一週間(いっしゅうかん)おいてくれとか、10日(とおか)おいてくれとか言(い)う人(ひと)も来(く)るんですか?
まあ、それはね、自由(じゆう)におこもりをしてもらったらいいんでね。来(き)たい人(ひと)は来(き)てるし。ちょっといてもらってもいいし。一日(いちにち)でも二日(ふつか)でも。
‐実際(じっさい)長(なが)い人(ひと)はどれくらいいたことがあるんですか?半年(はんとし)とか。そんな人(ひと)はいない?
いろいろね。
‐一ヶ月(いっかげつ)ぐらいいる人(ひと)はいますか?
十年(ねん)以上(いじょう)とか(笑い)。
‐十年(ねん)ということは、近江八幡以来(おうみはちまんいらい)ですか?
近江八幡(おうみはちまん)のときもいてました。
‐はあ、ずうっといるわけですか。
そのー、もう一(ひと)つ前(まえ)のところでもね、保養所(ほようしょ)のところでも...(笑い)。
‐そこに住(す)み込(こ)んじゃってる?
古(ふる)だぬきとして(笑い)。
‐で、その住(す)み込(こ)んじゃってるということは、別(べつ)に住(す)み込(こ)んだからと言(い)って報酬(ほうしゅう)があるわけじゃないんでしょ?
何(なに)もないです。
‐自分(じぶん)の生活費(せいかつひ)はどうしてるんですか?
何(なに)もないんです。
(別の人)自分(じぶん)のはバイトをして。
‐ほう、なるほど。バイトをして帰(かえ)ってきてまたそこに住(す)んで、いろいろ話(はなし)を聞(き)いて。お祈(いの)りして。出(で)たり入(はい)ったりした人(ひと)を含(ふく)めて...五,六十(ごろくじゅう)名(めい)とか...。
そこまであんまり集(あつ)めてはいませんのでね。まあ、建物(たてもの)が増(ふ)えたらまたね、遊(あそ)びに来(こ)られるのも多(おお)いですから。
‐まあこの辺(へん)にありがとう村(むら)ができるわけですね。まあ、あのー、テープをちょっと聞(き)かせていただいたんですけど、すべてのものがすでに与(あた)えられていというお話(はなし)をされたんですね。求(もと)める必要(ひつよう)がないんだというやつですね。
ほんとうにそうですね。現実的(げんじつ)にもね、先(さき)に先(さき)に与(あた)え続(つづ)けてもらってお礼(れい)の方(ほう)が遅(おく)れてるぐらいです。
‐ああ、なるほどお礼(れい)の方(ほう)が遅(おく)れているという考(かんが)えですか(笑い)。...でも、まあ「ありがとうございます」を今(いま)までどのくらい言(い)いましたかね?回数(かいすう)を。
いやあ、一億(いちおく)超(こ)えてますよ。表面的(ひょうめんてき)だけでもね。奥(おく)の方(ほう)でももっと回数(かいすう)多(おお)いですよね。奥(おく)の自分(じぶん)のするお祈(いの)りがね。桁外(けたはず)れですよね。表面的(ひょうめんてき)には時間(じかん)に制約(せいやく)されますけど、奥(おく)の自分(じぶん)は神通自在(じんつうじざい)にいっぱい唱(とな)えられますからね。
‐で、お祈(いの)りをしているときにはお仲間(なかま)の方(かた)も参加(さんか)されるんですか?
ここでは朝、晩、(あさばん)お昼(ひる)もね。
‐いっしょに「ありがとうございます」を言(い)ってるんですか?みな黙(もく)とうですか?
 まあ「ありがとうございます」と唱(とな)えてもらってるのが基本(きほん)なんですけど。一時間(いちじかん)でも二時間(にじかん)でも三時間(さんじかん)でも(笑い)。まあ一人(ひとり)ひとりね、それぞれの祈(いの)り方(かた)がありますけど。
 だから私(わたし)も「ありがとうございます」を基本(きほん)にしてますけど中身(なかみ)が変(か)わってきましたからね。だから私(わたし)は今(いま)「ありがとうございます」と言(い)うのは天照大神様(あまてらすおおみかみさま)が今(いま)ここにいらっしゃるという意味(いみ)だというふうにね、かなりずっと前(まえ)から感(かん)じているんですけど。
 天照大神(あまてらすおおみかみ)さまというのは宇宙絶対統一神(うちゅうぜったいとういつしん)で宇宙(うちゅう)の最高表現(さいこうひょうげん)のすべてなので、宇宙(うちゅう)が無限(むげん)に無限(むげん)に輝(かがや)く姿(すがた)で一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)あらたに出(で)て来(く)てるという、それが天照大神様(あまてらすおおみかみ)という受(う)けかたしてるんですけど。その天照大神様(あまてらすおおみかみさま)が今(いま)ここにいらっしゃるという受(う)けかたを一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)してるんですけど。
‐あの、十年(ねん)お付(つ)き合(あ)いをしている人(ひと)というのは全部(ぜんぶ)で合計(ごうけい)でどのくらいに到達(とうたつ)したんでしょうね?ありがとうございますの数(かず)。仮(かり)に計算(けいさん)すると...だいたい、この辺(へん)から何(なに)か状況(じょうきょう)が変(か)わってくるというのがありますか?
最初(さいしょ)の三ヶ月(さんかげつ)ね、命(いのち)がけでやったとき、空気(くうき)が光(ひか)って踊(おど)っているの見(み)えましたしね。その辺(へん)の草(くさ)も木(き)もなにも光(ひかり)り輝(かがや)いて見(み)えましたからね。三ヶ月(さんかげつ)でそうなりますから、周(まわ)りが輝(かがや)いて見(み)えるというね。いのちそのものの そのときは一日(いちにち)5万回(ごまんかい)以上(いじょう)でしょうね。ずうっとですからね。ほとんど睡眠時間(すいみんじかん)とらずにですから。
‐それだけでもかなりの数(かず)になりますね。あの、奇跡(きせき)がたくさん起(お)きるというのも、あたりまえのようにたくさん起(お)きてしまうと必要(ひつよう)なことが全部(ぜんぶ)起(お)きるし入(はい)ってくるしということで一言(ひとこと)で片付(かたづ)いてしまいますよね。
もう、
全部(ぜんぶ)が大奇跡(だいきせき)ですから(笑い)。
‐下(した)の名前(なまえ)は何(なん)ていうんですか?
もう、
私(わたし)の名前(なまえ)は出(だ)さんといてください。
‐苗字(みょうじ)まではいいんですか?
いいえ、もう名前(なまえ)は名無(ななし)しの権兵衛(ごんべえ)で。こういう人(ひと)がいてるというても名無(ななし)しの権兵衛(ごんべえ)で。それなぜかと言(い)いますとね、
私(わたし)も最近(さいきん)は特(とく)に感(かん)じるんですけど世界(せかい)がひとつになるためにはね、神様(かみさま)だけを立(た)てなければ駄目(だめ)だというね。
 
ほんとうは一人(ひとり)ひとりのね、本当(ほんとう)の自分(じぶん)というのはその宇宙(うちゅう)の大神様(おおがみさま)から新(あら)たなる全徳(ぜんとく)の無限(むげん)に無限(むげん)に輝(かがや)く最高(さいこう)のものをね、みな平等(びょうどう)にうけているんですよ。その自分(じぶん)から見(み)たら肉体(にくたい)の自分(じぶん)とか魂(たましい)の自分(じぶん)なんてとても至(いた)らないゼロ以下(いか)なんですよね。 
 だからその無限(むげん)に無限(むげん)に輝(かがや)いたものをうけている本当(ほんとう)の自分(じぶん)が天照大神様(あまてらすおおみかみさま)にあたったときは無限(むげん)に謙虚(けんきょ)になるしかないね、すべて神様(かみさま)から与(あた)えられたお返(かえ)しというね。
 だから自分(じぶん)の名前(なまえ)はいっさい出(だ)したらダメという、ただもう神様(かみさま)だけをたたえるというかね、自分(じぶん)の名前(なまえ)は一切出(いっさいだ)してはいけないんだという気持(きもち)ちが強(つよ)いんですよ。それでないと我(が)を出(だ)してね、名前(なまえ)いうたら中心(ちゅうしん)争(あらそ)いをしたり、いろんな勢力(せいりょく)争(あらそ)いになっていくでしょ。
 だからこれからは世界(せかい)をひとつにするためには、ただ、もう宇宙(うちゅう)の大神様(おおかみさま)ただひとつをほめたたえて感謝(かんしゃ)するだけがいいというね。そういう時代(じだい)に入(はい)ってくるんじゃないかっていうもんですよね。
だから過去(かこ)の自分(じぶん)も今(いま)の自分(じぶん)も必要(ひつよう)ないという、ただ神様(かみさま)の働(はたら)きに当(あ)たるものを感謝(かんしゃ)でうけるだけが世界(せかい)をつないでほんとうに一(ひと)つにしてくださるんだというね。だから誰(だれ)がこういう体験(たいけん)をしたから偉(えら)いとかすばらしいとかではなしに、そんなものは取(と)るに足(た)らないという、
 もっとすばらしいものが天(てん)からいつも無限(むげん)に降(ふ)り続(つづ)けているというね。それも滝(たき)のように降(ふ)っているんだというね。そこへ心(こころ)を向(む)けさへしたらみんな自然(しぜん)に悟(さと)っていける自分(じぶん)がどんどん現(あらわ)れて世界(せかい)がひとつになっていくんだというのね。
 だから
私(わたし)はもう若(わか)いときからそうですけど、一宗一派(いっしゅういっぱ)を立(た)てるなというね。こういう神様(かみさま)ね、指導(しどう)もあるし、こういう一宗(いっしゅう)を立(た)ててこういう教(おし)えを説(と)きなさいという神様(かみさま)もいてたのね。でも私(わたし)は何(なに)も立(た)てないというのを選(えら)んでそれが正(ただ)しいと思(おも)ってきましたし。
こういう体験(たいけん)をするんでも
別(べつ)に自分(じぶん)のすばらしさを言(い)うんじゃなしに、もうこんな生(い)き方(かた)も数(かず)ある星(ほし)ぐらいにしか思(おも)っていないんでね。
 もっともっと大事(だいじ)なのは神様(かみさま)の方(ほう)へ心(こころ)を向(む)けるだけという、もっともっと無限(むげん)に無限(むげん)にすばらしいものを感謝(かんしゃ)さえしたら受(う)けられるというね、そういう参考(さんこう)になればというだけなんで。

‐ちょっと講演(こうえん)してくださいとか、ちょっと行(い)ってお話(はなし)を聞(き)きたいとかという頼(たの)まれごとは...。

それはね、私(わたし)はもう全部(ぜんぶ)お祈(いの)りがすべてですから、お祈(いの)り以外(いがい)しませんので。
‐外(そと)から飛(と)び込(こ)んできてこうやってくれって言(い)われたら...
 だから私(わたし)もうこの世的(よてき)なことはいっさいしません。お祈(いの)りしかね、ほんとに地球(ちきゅう)を救(すく)う方法(ほうほう)もないし、みんなの本心(ほんしん)を開(ひら)いて悟(さと)らせる方法(ほうほう)もないんで、それだけに全部(ぜんぶ)捧(ささ)げ尽(つく)くす覚悟(かくご)で今(いま)してますんで。
‐まあ、話(はなし)を聴(き)きたいという人(ひと)が来(き)た場合(ばあい)には...

まあ、こういう形(かたち)でたまには。
‐講演(こうえん)なんかもするんですか?
いや、だからそれはいっさい断(ことわ)るつもりで。それ以上にお祈(いの)りのほうが大事(だいじ)なんで。

‐そういう意味(いみ)ではあんまり表(おもて)に出(で)てこない方(ほう)がいいと。

はい。だから お祈(いの)りだけにね 全部(ぜんぶ)を 捧(ささ)げて。 
 だからね、みんなが 悟(さと)った自分(じぶん) として 一人(ひとり)ひとり 出(で)てくる方(ほう)が 私(わたし)に 教(おし)えられて 生(い)きるよりも いいじゃないですか。

-ありがとうございました
ありがとうございます。

‐何人兄弟ですか?
4人兄弟。姉が一人、妹二人ですね。
‐ご両親は何やってたんですか?
私の両親はね、和歌山出身なんですけど、どちらも小さいときに孤児(みなしご)同然になっているんです。母さんの方は両親の家に生まれて両親がすぐに死んで兄弟も全部死んでるのね。お爺さんが一人生き残って7歳ぐらいまで面倒見てもらったんですが、親戚にもらわれていったような形で相当苦労してるんですけどね。それで父のほうもみんな亡くなって、財産だけ残してもらって、それを放蕩に使ってしまったというような感じでね。それも死ぬようなところまで行ったんでね。肺結核でもう末期でだめだっていうところまで行って、それで神がかりになって命助けてもらったのね。
‐神がかりというのは自然になったんですか?
そう自然になったのね。もう血を吐いて、どうしようもなくなった状態で神がかりになって、最後に守護霊さんが治してくれたのね。
‐その辺の具体的な話というのは覚えていますか?
はい。だから意識がなくなってもう自分がね、たとえばサワガニを取ってね、食べたりするのが分からんうちに行っているみたいで。栄養取るのにね、無意識のうちにいろいろ健康になるような方法をおそわってね。ほんで命を助けてもらって。
‐それはいつ頃の話ですか?お父さんがいくつぐらいのときに?
若いときでね。
‐二十歳ぐらい?
うん。
‐じゃあ、まだ結婚してないし子供も...。
結婚はね、父が明治36年生まれで、母が大正7年生まれですね。年齢は相当離れているでしょ。結婚するのも、あの父がその神がかりになって助けてもらって、後で相当修行しているんですよね。滝に打たれたりいろいろしてね。それで霊媒体質というんですか、それは極度の霊媒体質で神がかりになりやすかったんですね。いろんな霊魂が降りてきては、拝みやさんみたいなことをさせれられていたみたいですね。職業は時計屋にでっち奉公に入って時計の修理の技術を身に付けてね、職業は時計屋なんですよ。それで人の相談にのって拝みやさん的にね、霊媒のその、働きをさせてもらったのね、無償で。(不明)として神様がさせてたみたいですね。そこへですね、母が病気になって困ってそこへ行ったときに、神がかりになってこの人と結婚せよ言うたわけね(笑い)。
‐それはお父さんが自分で言ったんですか?
いや、それは神がかりになって神さんが言うたんですね(笑い)。父の方はね、その神がかりになったときは意識ないんですよ。何を言ったかも覚えていないのね。最後にいろいろ(不明)と、その話も聞けるわけですけど、まったくもう自分はぜんぜんわからないみたいですね。
‐その神が結婚しろと言った瞬間にお母さんはどのように?
いろいろと精神的にね、心安らぐ教えを説いてくれる神様だったんでね、それで素直にハイという気持ちになれたらしいんです。まあ、どっちも一人ぼっちなんで、親戚もないし頼るところもないしということで。
‐お父さんは四十ぐらいのときですか?
そうですね。
‐お母さんのほうが二十歳ぐらい?
そうなんですよ。だから母が父を選んだというよりも、神がかりになって降りてくる神様を選んだという、指導してくれる神様を選んで結婚したという感じですね。
‐仮の話ですが、そこで離婚をしたらどうなるんですかね(笑い)。神様が見誤ったということですかね?
だから母の方は結婚してから相当苦労してますよね。父は小さいときから贅沢してますでしょ。お酒飲んで身を持ち崩してるでしょ。働くことも(不明)でしょ。考え方がやっぱりね、甘えてるっていうんですか、責任感薄いですよね。
‐じゃ、もしかしたら神がかりじゃなかったかもしれないですね(笑い)。
だから神がかりといっても、いろんな神様が降りてきますよね。降りてくる神様の中から母の場合は一人の神様を選んでたのね。だからその後も、その神様がいつもね、お前たちは親もないんだから神が指導するということでずっと見てきてもらったのね。
‐それで、お父さんとお母さんから何か精神的なことを教わったんですか?
まあ、小さいときから、拝み屋さんをしてますよね父が。いろんな相談が来たら、霊媒になっていろいろお告げを与えたりしますよね。そういうのを身近に見てますよね私が。それで私たちに対してでも、神がかりしてきたいろんな神様が指導してくれるんです。精神的な指導をね。ちょうど親代わりの感じでね。だからそういうのはいつも小さいときから身近にずうっと見て、体験して、私はもうそれだけじゃなしに、3歳のときから神棚の前で一人で座禅組んでいましたからね。
‐それは自らですか?
そう自らですね。
‐親に言われて...。
言われてではないですね、自分から喜んで来てんですね。
‐ふつう正座して何時間も座る小さい子はいないですよね。
ところが、それが自然にできて喜んでるのね。だから私は小さいときから子供らしさがないとずっと言われてたのね。行儀はいいんですけど(笑い)。
‐一日何時間ぐらい座っていたんですか、その三歳のとき?
長かったら長い時間ですね、でも頭は一時間ほど座ってましたね。
‐それが一回ではなくて、2回3回ってのもあるんですか?
そうですね。
‐お父さんが、拝みやさんみたいなことをやっているときに、自身に病気や事故があったときにお父さんが具体的にかかわってきたことがあるんですか?
私はあまりないですね、病気とか事故とかね。でもいろんな人の相談とかを見てますね、みんな。どういう相談できて、神がかりでどういう指導しているか、客観的に批判的に見てるんですよ。
‐お父さんが応対しているときに、そこにちょこんといるわけですか?
そうです。
‐そばにいてもかまわなかった?
かまわないんです。
‐あっちへ行けとか言わなかった?
そう、それはないですね。わざと見せてくれてるんだと思いますけど。だからその神がかりする神様はピンからキリまでですね。いろいろ神様はいらっしゃいます。だからそのサニワですか、サニワする力をつける為だと思うんですけど、どの神様が正しくてどの神様が間違っているか、見極める力を付けさせるために見せてもらったんだと思いますどね。
‐間違った神様も来たことがあるんですか?
ありますよね。おかしなことを言うんですよ(笑い)。
‐どんな?
つまりね(笑いながら)、詰まらんことを言いますよね。本当の人生の目的は何かとか高尚なことを言わずにね、現実的に、どこになにがあるとかね、当てもん的なことを言ったり。それが当たったり当たらなんだりね。だから、ほんとうの信仰とは何かというのから見ると、つまらん時間つぶしですよ(笑い)。
‐今、批判的な目でと言いましたけど、三歳のころから自分で座っていた段階ではお父さんをわりかし批判的に見てるんですか?
いや、別に批判するも何もないんですけどね、客観的にですね、やっぱり。すべてを客観的に見せてもらっている。
‐お父さんの弟子のような入り込み方をしている?
それはないんですね。全くないですね。
‐出来事を淡々と見ている?
そうですね。だから、わたしは親には素直なんですよ(笑い)。ぜんぜん逆らってないですね。ところが親のほうも神様から止められてるんですね。この子にはいっさい何も言うな、とね。
‐お父さんも言わないかわり、お母さんも言わないんですか?
そうですね、だからしかられたことがないんですね(笑い)。...しかられてないですもんね(笑い)。誉められたことはありますよ。親のためにね、親孝行やっぱりしてますよね。親としたらかわいい子だと思いますよ、ほんと。なんでもハイハイって聞くでしょ。一生懸命お手伝いするでしょ(笑い)。
‐で、お父さんは放蕩みたいな状態だったわけですよね?
若いときはね。結婚してからはまじめに時計屋をして、子供を大事に育てていたんですね。
‐お母さんの方は、腹を立てたり荒れたりということはないんですか?
ないです。母はもう小さいときにね、親戚の家にもらわれていって、そこで男並の仕事をね、男の3倍ぐらいの仕事をしてるんですよ。朝起きたらそこは旅館の仕事をしていてね、はよう3時かそのくらいに起きて、蚕の桑の世話をしたりね。そのあとお客さんの世話をして、いろんな仕事をね山へ木を切りにいったりして、ちゃんとしておいてその後学校へ行くんですよね。それも走っていってね。終わったらすぐに帰って、あとまたずっと仕事をするんでしょう。だから食事を立って食べるだけ、座って食べたことがないというぐらいでね。それだけ男の人の3倍ぐらい働いたようです。それでずうっと(不明)ですよ。成人するまでいるんですから。
‐で、結婚したのが二十歳ぐらい?
そうですね。
‐結婚して救われたという感じですかね?
救われたというんですか、そこまでしてるから、努力さへすれば何でもできるという強い気持ちがあったみたいですけどね。でも、努力したらという我の強さがあるんですよね(笑い)。(不明)だからその結婚してからがね、ほんとうの修行になったんだと思いますけど。
‐うーん、今の一言は非常に重要なポイントですね(笑い)。努力さえずればっていうのが我になっているととらえる人が世の中には少ないんですよ。今はもうご両親ともおいでにならない?
父はもう亡くなって、母は和歌山で一人生活してますけどね。
‐母親父親にかんして何か言うことがありますか?父はこういう人であって欲しいとか、母親役はこうであって欲しいとか...。
こちらはいっさい無いですね。私にとってはすべてが感謝の対象なんですね。すべては私を育てるために神様がいろいろ仕組んでいろんな姿を見せ、いろんな体験をさせてもらえたというね。もう全部感謝しかないんですけど。
‐お父さんがこの子に関しては何も言うなという、神様からの指令みたいなものをお母さんにも伝わってたんですか?
ええ、もうちゃんとね。
‐じゃお母さんも何も言わない?
言わないですね。
‐で、それは本人にも伝えていたんですか?
本人もちゃんと目の前にして言うてくれますからね。一回でないですからね、何回も言ってくれますから。
‐そういう教育も面白いかもしれませんね。三歳ぐらいの子供に、俺は言わないから自分で勝手に考えろというのも手かもしれませんね。と、三歳になると座禅するようになるかもしれないですね(笑い)。
‐だから、親にとったら一番かわいい子だったかもしれないですよね。まあ、男の子だったというのもありますけどね。でも、他の兄弟よりも私いちばん番素直でしょ、なんでもハイッて言うんですよ。宝もんだったですから。
‐幼いころからこういう顔でしたか(笑い)?
小さいときは大人っぽい顔だったんです(笑い)。おとうちゃんになって、ちょっと子供っぽい顔になったんです(笑い)。
‐それは多少わかります(笑い)。
だからその、行儀がよくってね、ハイッ、ハイッでしょ。なんでも素直にハイッて言って一生懸命するでしょ。子供らしさ、遊びがなかったのね。それもね、わたしが幼稚園に行ってるときまでは、家は時計屋で繁盛してね、いろんな借家を買ったりして、ある程度順調にいってたんですね。で、小学校に上がりはじめて、また命令が神様からくるんですね。これからほんとうの修行をさせるというね。父は滝に打たれたりして、いろんな人の相談を受けては行をしてるでしょ。そんなもの行でもなんでもないんだ、と言い切るわけですよ神様は。ほんとうの修行をさせてあげると言うんでね。それからなんですよ、耐乏生活がはじまるんですけどね。
‐つまり耐乏生活が修行になるという?
そうなんです、ハイ。だから借家をね全部売り払うんですけどね、その前に時計屋をやめなさいと言われるんですよ、まずね。時計屋で順調にいってたのにね。店を朝の5時ごろ開けて出勤の人のために午前中にできるようにしてたのね。だから日に10個ぐらいの修理があったのよ。順調だったんです。それでお金ができて借家も買ったりして。ところがその、時計屋をやめなさいという命令が下ると、その日から時計の修理もってくる人ひとりもいないんですよ(笑い)。その日からね。
‐本人がやめるといわなくても、お客さんがいなくなってしまった?
もう、いなくなるんですね。ひとりもなくなるんですよ。そのうちにね、収入ないでしょ。まず家を売るでしょ。家を売ったらお金もらえへんのです。踏み倒しですね。何ぼもらいに行ってもくれんですね。逆に脅されるだけよね。これも神はからいかもしれんですね。それから家財道具全部売るでしょ。質屋に入れては流し、全部売ってしまうでしょ。それで売るもんなくなっていくよね。今度あと時計たくさん置いてあるのね、柱時計にしても目覚し時計にしても、それを時計として売れへんのね。買ってくれる人ひとりもいないのね(笑い)。それでくず鉄に分解するのね(笑い)。真鍮と鉄を分けるの。私もそれしましたよ、一生懸命ね。
‐父さんはそれについて何で、このちゃんとした時計を買ってくれへんのやろう、とは言わなかったんですか?
言わないですね。それもやっぱり、その神様の働きの怖さというんですかね、身にしみるほど味わっているんだと思いますけど。もう絶対それ、修理なんぼ頼み行ってもあかんのですよ。だから時計分解してくず鉄と真鍮に分けましてね、ほれで一切の財産全部なくすんですよ。それで一年くらいですかね、全部なくなったのは。
‐それは何歳ぐらいのときですか?
小学校上がったときくらいですね。幼稚園には、ネクタイ締めて制服着て行ってるわけですよ(笑い)。贅沢三昧...だから苦労がわかる時期というのを選んでたんだと思いますけど。あまり小さいと苦労に負けるかもしれないけど、ある程度耐える力というのも必要なんでしょうね。
‐あのー、神様がこれからほんとうの修行だぞと言ったときに、どんな修行をさせるのか興味を持って聞いていたんですけど...その山ごもりで荒行みたいなものはどうも神様はほんとうの修行とは認めていないみたいですね。
そう、生活行の中でね...生活の中で、何かを見出さなければだめだったんだと思いますけど。
‐その神様は本物のような気がする...。
だからそのね、最初から親戚を全部なくし頼るとこ何もないでしょ。その上に家財道具全部失って、そのあと借金しに回るんですよ、食べ物ないからね。50円借して、100円借してとね。知り合いの全部お世話した人回っていくんですね。最初は貨してくれるんですよ、2回3回とはね。そのうちにとまるんですよ。何回行っても貨してくれなくなりますね。もういっさい貨してくれなくなるんですよ。で、そこからなんですよ(笑い)。10年間。10年間耐乏生活が始まるんですよ。
‐その10年間の間にお父さんは、神様について感想を述べたことは無いんですか?
無いですね。
‐それはもう、黙って黙々と受けていただけ...。
もう、それを受けるしかないというのがね、あるんですね。
‐たとえば、人間の力で努力して道を切り開こうとか、どっかに営業に行こうとかジタバタはもう一切なしですか?
時計屋をやめろと言われたらどうしようもないですね。その代わり安い内職はみんなさせてくれたんです。私ら子供は全部安い内職を一生懸命...。
‐ぎりぎり食べられる?
いや、食べられるとは言ってない(笑い)。一食分買えないんですよ。家族六人ね、一生懸命内職するんですけどね、一番安いの選ばれてするみたいですね。
‐高いのは飛び込んでこない?
飛び込んでこないですね。それも一生懸命してもね、これだめだと返品食らうとね、よけい損害賠償取られるような感じでしょ。お金にならんかったりね。だから、あの当時お米なんか絶対買えなかったのね。小麦粉をね、メリケン粉と言ったのね、小麦粉が一番安かったんでそれを団子にして鍋のなかに入れて食べるという、それも一食分もなかったんです。あの当時でも6人家族だったら少なくとも2万円ぐらいいると思うんですよ。月の収入が2千円です(笑い)。2千円ね。それもね、家が無いんですよ。だから6畳の小屋を、物置を借りたんです。トタン張りの穴のあいてる、冬は雪が舞い込むようなね、雨の漏りそうなとこをね。そこを借りて生活始まってるんですね。自分の家がなくなったからね。
‐そういう生活が10年ですか?
いや、そこが出発点ですけどね。で、その布団も無いんですよね。だからそのときはワラ布団をね、ワラを拾ってきて、ごつい布を拾ってきて、それを包んでそれを敷布団ならいいんですけど、掛け布団にしてね。だからそのときには着たきりスズメなんですね。着替えのシャツ一枚なかったです。で、繕いの糸ひとつ無かったですよ。石鹸は無いしね。水はもらい水でしょ。電気も無いんですよ。でそこから、畑を貸してあげるというとこがあって、そこへ自分たちで家を立てて引っ越して住むんですけど、そのときは私が小学校の6年でしたけど。そのときに自分たちで家を作りはじめるんですよ。掘っ立て小屋をね。そこでの生活でも電気を引くお金が無いんでランプ生活ですね。水道なんてもの無いですからね。自分で井戸を掘って、その水を使うんですけど。
‐そんな生活をしていて、何か感想をもたれなかったんですか?
別に苦しみでもなんでもないんでね。一生懸命生きることに喜びを感じていたんですね。
‐その間も座り込んで座禅瞑想するということが続いていたんですか?
お祈りは一生懸命してますね。時間があったらお祈りしてますよね。
‐お父さんと一緒とか、お母さんと一緒とか?
いや、ひとりで。それで内職が忙しいんですね。内職やりながら学校に行きながらですよ。
‐で、時間ができると?
時間があったら学校で休憩時間でも一生懸命座ってましたね。瞑想なんかしてましたね。ほんで、その当時小学校でも給食でしたけどもお金が無かったので、給食代がね。私はもうお昼ずっと抜きっぱなしなんですよ。家へ帰っても食べるもの無いし。食べに帰るわけにいかんですよね。だからみんな教室で給食食べてるでしょ。その間外へ出て、冬でもなんでもね、校庭へ出てじっと時間たつのを待ってるのね。それがお祈りの時間ですね。ひとりでいてるときはいつもね。
‐それは6年間ですか?
それも高校まで続いてるんですけどね、ほとんど。高校を卒業するくらいまで耐乏生活が続いているんですけど。だから私の姉なんか、体育祭にはいていくブルーマというのが無かったんでいろんな継はぎの作ってもらったのはいて行ったら、先生に冷やかされてね。風車(かざぐるま)はいてるってね(笑い)。そういう若い先生いとったのね。担任の先生で。それっきり学校行かなくなったこともあるんですよ。
‐小学校6年プラス中学校3年プラス高校3年で12年ですね。その12年の間は一応思春期で、若者にとっては反抗期っていうのが来ますよね。
そうですね、私は無いんです。反抗期っていうのが一切無かったんです。
‐で、その12年の昼食が食べられないということについても、何かその批判的な自分の中の(不明)みたいなものが出てこなかったんですか?なんで俺だけがこうなんだっていうのが無いんですか?
無いんですね。ただ勉強する時間だけが欲しかったんですけど。
‐成績はどうなの?
成績はね、私はよかったんですよ(笑い)。
‐ほんとうのことおっしゃってみてくださいよ。
うーん、大阪の教育委員会から表彰してもらっているし、日本育英会から表彰してもらってるしね。
‐ぜんぜん照れなくていいですからね(笑い)。
勉強は学校だけでね、ほとんど予習復習して全部覚えていたんでね、成績はいいほうですよね。
‐ほとんどトップクラス?
まあね。
‐じゃあ、小学校のころは神童とか言われた?
だからその、子供らしさがないと言われた(笑い)。
‐素直で、貧しくても文句をいわず...。
二宮金次郎というあだ名がね、中学校のときずっとついてましたしね。
‐級友たちも貧しいことは知ってるんですか?
そうです。だからパンを恵んでくれたりするんですけど、私は食べてないんですよ。一回これをすると信念が狂ってしまうような、負けてしまいそうに思ってね。もらった分はもらったで、家に持って帰っていたですね。
‐もう昼飯は食べないって決めた?
もう食べないって決めないとね、どうしようもないですよね。今日食べて、またもらって食べてっていったら信念が狂ってしまうでしょ?だからもう一切食べないと決めて水だけ飲んでたのね。
‐それが12年続いた?
そうですね、だからその間勉強させてもらってますね。
‐中学までは義務教育ですけど、高校はそうするとお父さんが無理して入れてくれた?
だから授業料も減免、ただで育英会のお金をもらってというね。中学のときも教科書なんか全部学校で買ってもらっているんです。だからPTAの会費とかぜんぜん払えんかったですよ。高校でもね、なんかいるときにお金ないから持っていけへんのですよ。先生はね、何でもってけへんのだったとね。忘れましたとは言えへんのね、正直に言うと。持ってきませんでしたと言うたら、怒られてね(笑い)。
‐高校は普通科ですか?
そうですね。ほんとは医学を目指してお医者さんになりたかったんですよ。ところが神様の方針が違うんですね。ほんとうのお医者さんにするのは、お祈りを加味させて本当の力を付けさせようと思ったと思うんですけど。
‐いちおう大学は?
いちおう受けたんです、阪大をね。
‐阪大の医学部というのはかなり偏差値高いじゃないですか?
うーん、私は通ると思っていたんですけどね(笑い)。絶対通ると思っていたんですけどね。ところがだめですね、やっぱり。
‐それで落ちた結果どういうことになったんですか?
いや、別になんでもないんですね。やっぱ方針が変わったんかいう感じですね。
‐で、どっか別の大学を受けた?
いや、そこひとつだけですからね。
‐じゃ、その後は就職ですか?
いや、就職してないんですよ。私はね、人生の目的というものを中学のときからものすごく悩んでいるんですね。人生の目的は何かって死ぬ思いして悩んだんですよ。人間は何のために生きているのか、何で生きなければならないのかとね。これがもう私にとって一番の問題だったんですよ。中学のときにいろんな本を読みあさって、先生に質問してみても答えが絶対に得られないんですよね。ほいで自殺してもいいかなという気持ちになったことが何回もあるんです。そのときに、ひらめくようにね、内から神様に教えてもらった言葉がね、人生の目的を追求することを人生の目的にしなさいというね、ひらめきが来てね、それが自殺をくい止めてくれたんですよ。それから人生の目的を追求するのを目的にずっと生きているんですよね。だからお祈りが中学のときから拍車がかかっているのよね。だから時間があったら座ってお祈りしているのよね。
‐そうすると中学のときから44,5年たった。答えは出ましたか?
だからそれ、わたしは二十歳のときに答えが出たんです。
‐どのような?
太陽を見てお祈りしていたんですね。そのときに自分の体が、肉体が消えて魂も消えて大きくなったんですね。感覚的にね。ずうっと大きくなって、大きい自分に気づいたんですね。そのときにふっと人生の目的わかったんです。直感的にね。
‐どういう結論になったんですか?
だから人生の目的というのは神様の心をこの世に表すことというね、それが人の使命なんだというね。それまでは肉体を自分と思うでしょ。魂を自分と思うでしょ。ほんとうの大きい自分を忘れていたんですね。だから大きい自分に気づいたときに初めて人生の目的が出てきたんです。それまでは、お医者さんになりたい、人を幸せにしたい、これは目的であるようでないんですね。もし、それしてどうなるんかと考えてしまうとね、むなしくなるんですね、みんな。だから肉体の自分とか、魂の自分だけをつかんでいたんでは、やっぱりむなしい感覚がね、取れなかったんだと思いますけど。ほいでほんとうの大きい自分に気づいたときに初めて人生の目的がすうっとわかりましたね。そこからお祈りの道がほんとうの意味で始まっているんですけど。
その霊的な体験のときに地獄絵図を見てるのよ。地球の未来図というんですか。核戦争でほとんどの人が死んで、ほんのかたわのような人が少し残って地獄絵図のような姿ね。それも一つの姿だと思いますけど見せられて、さあこれをどうするかという問い詰められた感じになってね。そのときに自分の命を捨てて、入れ替えにこの地球を救ってほしいという気持ちにさせられたんですね。だから私の命を神様にあげますから、ともかく地球を救うためにお使いくださいという気持ちがそのときに起こってきたんです。それが私のお祈りの本当の意味の出発点なんですけど。それまでもお祈りをずっとしてんですよ、小さいときからね。「ありがとうございます」唱えているし、(不明)観音経唱えたり、般若心経唱えたり、ずっとやってるんです。でもそのときから「ありがとうございます」の感謝行が始まってるんです、ほんとに言うとね。
‐何で「ありがとう」と言う気になったんですか?
それが不思議だと思いますけど、太陽見ながらありがとうございます唱えていたんです。感謝が大切という意味ではないんですね。祈る言葉的に唱えさせられていたんだと思いますけど。
‐たとえば太陽が物理的に暖かいとか明るいとかそういう意味での「ありがとう」ですか?
いや、そんなではないですね。自然にさせられてたという感じですね。
‐で、18で高校卒業して、医学部の受験に失敗してからは何をしていたんですか?
うーんだから浪人という形ですけど、新聞配達したりね、いろんなことしながら、いろんな勉強をしてるんですね。受験勉強だけじゃなしにね、幅広くいろんな本を読みあさったんですね。その2年間に痛みの強いね、たとえば散髪屋で耳の掃除してもらったら、耳が中耳炎か内耳炎みたいなの起こしましてね、半年頭が割れるような痛みを味わったんですよ。で、次の半年にまたころっと変わってね、反対側。ちょうど一年間頭の割れるような痛みをずっと味わったのね。その翌年は、一年間胃けいれん。もうのた打ち回るような痛みを一年間体験させてもらっているのね。それも新聞配達しながらとか勉強しながらなんですけど。だから痛みをそらす意味でいろんなこと一生懸命してたのね。
‐それは家にいて家から通ってた?
そうですね。家からね。
‐十八から二十歳の2年間の間に、お父さんの方は好転しなかったんですか、経済的なところが?
もう、ぜんぜんね。贅沢はさせてくれへんよね(笑い)。
‐その間も拝み屋さんみたいのはお父さんしてたんですか?
ずうっとしてますね。
‐その拝み屋さんみたいなのでは報酬は貰わなかったんですか?
いっさい貰わんのです。
‐それは貰っちゃいけないから?
神様から止められていますから。お下がりぐらいはちょっと貰って帰りますけど。いっさい貰わんのです。
‐報酬を貰ってたらちょっとは楽だったかもしれませんね。
そうですね。それがいっさい出されへんですね。まあ、そこがよかったんだと思いますけど。
‐二十歳ぐらいまでそういう状態で来て、二十歳ぐらいからまあ直感的にわかった訳ですね。
ね、だからそこまで行くまでに耐乏生活が役立ったんだと思うんですね。感謝行ができたっていうのは感謝がたまりましたから、一番ね。もう何でもありがたい。
‐その耐乏生活が強ければ強いほど、激しければ激しいほど、何か人に好意善意を示されたとき喜び大きいですよね。
大きいですね。
‐つらいことが多いほど、実は喜びが大きいんですよ。
そう、それで母の話でね、努力ね、我が強いという話をしましたけど、その耐乏生活の間みんな命がけで努力しているんですよ。人の何倍も働いてね。中学生の私らも一生懸命働いているんですよ。内職一生懸命してるんですね。それで努力して努力してどうしてもうまくいかんのですよ。どれだけ努力しても生活がうまくいかんのです。そういう体験を10年近くするとね、やっぱり自分の努力やなしに必要なものは神様から与えられて働いているんだなと、どうしても気づくしかなくなってくるんですよ。
‐で、二十歳ぐらいからは、今度は自分の大きさが大きくなって...。
そうです。今度は地球を救うために地球の滅亡を防ぐためにという、そのための生き方に変わったんですけど。そのときから、今までも断食はしょっちゅうしてるんですけど、本格的に断食始めましたね。まずね、いろんなところでアルバイト的に働いているんです、たくさんね。だから朝昼晩働いたりね。いろいろ働いてその資金を平和運動に使うというね、真理の本を買って人に配ったり、そういうことで私は生活費のために一円も使ってないんです。働いたお金全部ね。ほれでお祈りが一番大事だということで、その合間をぬって命がけのお祈りね、ずうっとさせてもらってたのね。だから時間のないときほど真剣になれるというね、お祈りでも。時間があってするお祈りはやっぱり甘くなりますよね。だから時間のないところで寸暇をぬってお祈りするという、真剣なお祈りというのがやっぱり私にとってはプラスになったのね。だから睡眠時間を割いて、寝る時間を割いて、お祈りの時間を生み出したのね。それでも日に5時間は最低祈ってたのね。あとは祈りながらいろいろさせてもらってたんですけど。お祈りだけっていうのは5時間ね、命がけでやってたんですけど。
‐で、二十歳のときに目覚めてからは当然経済的なことも考えるわけですよね。それはいろんなことをやったんですか?
‐それは、生活のために働いてないんでね私は。平和運動のためだけに働いたんですけど、収入を得るのはね。そらいろんなアルバイトいっぱいしましたけど。だから自分の命は神様に捧げたというね、だから神様のためだけに生きて死ぬんだったらもう本望だと思ってたんですよ。
‐それは人にかけあってお金を集めるということではなくて、自分で働いたお金を平和運動に使うということですか?
そうです。だから真理の本買って人に与えるんだったら、それを買う金を全部自分で働いてしないと(不明)、まねしてもくれへんでしょ。だからまず自分がと思ってね、一生懸命働いたんですけど。
‐それはどのくらい続いたんですか?
ずっと三十歳くらいまでですね。
‐で、周りの人は何も言わなかったんですかね、父親、母親、お姉さん、妹も?
心配してると思いますよ。だから月のうち3週間断食しました。残り1週間あまり何か食べるでしょ。だから断食終わったら何でも食べてましたね。予備断食とかそういうものはないですよ。今日から食べないと思ったら何も食べないでしょ。今日から食べてみようと思ったら何でも食べてみるんですね。それが10年ほど続いていますね。
‐自分で稼いだお金を全部平和運動に使って三十歳くらいのときに何か転機があるんですか、結婚したとか?
そうね、あのー、私菜食主義的にね、(不明)しとって何もしたくないという気持ちが強くってね、小さいときからね。だから断食もね、食べないんだったら食べなくてもという気持ちも残ってたんですね。だから丸薬みたいのが一つあってね、一年くらい持てばいいのにと思ってたんですよ(笑い)。
‐そのうちそうなるでしょ(笑い)。
もう食べる時間がもったいないという感覚が残ってたんですね...で私、断食最後に100日したんですよ。仕事しながらね。
‐100日断食すると体に腐敗臭が漂いませんか?
いや腐敗臭よりも体が動かなくなるんですね。その最後にはね、今日は仕事にっていうときに歩いていってね、もう呼吸止まってしまうのね。呼吸止まったままで家へ帰っているんですよ。不思議ですね、あれ(笑い)。だから、そのときにね私、胸全部だめだったですよ。心臓がこの辺にきてですね、肺がなかったのですよ。それでも頑張って仕事をしながら一生懸命いてるんですね。
‐えっ、断食しながら仕事をしてるんですか?
そうです。ずっとそうですよ。だから100キロくらいの荷物もってね、運んでたりね、いろいろやってるんですよ。(不明)は強かったんですよ。ふつう3人ぐらいで担ぐような100キロぐらいの荷物でもね、私ひとりで階段上り下りして運んでいましたからね。
‐食べないから力が出ないというのは全く違うんですね。
そうじゃないみたいですね。気力みたいですね(笑い)。まあ、変わりもんはいてますよ(笑い)。
‐同じ断食するにしても、今の断食はほととんど何もしませんから、毎日寝て、座って、講義を聞いてという断食ですよね、断食道場というのは。働きながら断食する人っていないですよね。
私の場合ずっと働きながらなんですよね。やっぱりある程度ね、自分の限界も知りたいし、神様の護りがどれだけあるか試したいしというところがありましたね。だからいろんな神様が止めにくるんですよ。断食は間違っているとかね、神の恵みをけなすのかとかね(笑い)。やっぱり断食は正しい生き方ではないですからね。でも自分はある程度はやってみたいというところがあるんですよね、限界をね。
‐好みでやるのはいいみたいですよ(笑い)。苦行として、修行として受けるのはだめみたいですけどね。自分の好みで好きでやるのはいいみたいですね。
だから苦しみがなかったんですね。打ち勝つ喜びのほうが強かったですね。断食しててもこんだけできたという。
‐心臓が止まって家に帰ってきた時に...。
いや、心臓は止まっていない、呼吸ができなかったんですね。もう吸うも吐くもできなかったですね。
‐で、三十くらいまでそういう生活を10年続けていて、三十くらいから何か転機というか?
もうここまで来たらもういいかなという感じですね。あとはもう自然に任せようというね。なんでもハイッて受けてみようという気に変わったんですね。それまでは結婚なんか考えてなかったのね。一生独身主義でしたね、あのときはね。三十ぐらいから気持ちが自然体になったんですね。だからもう何でも食べるっていう、人でも食うってぐらいね(笑い)。そうとう変わったのね。肉でもなんでも食べるようになったんですけど、それまで食べたくないでしたね。受けつけなかったですね、あまり。
‐その点はやっぱり、あるトンネルを通り過ぎた人の感覚ですよね。菜食主義とか玄米主義にこだわっているうちはまだですね...ほんとはこのトンネル抜けると何でもありなんですよ。何でも食べられる。全部ありがとうと言って食べられる。多分それが本筋だと思うけど。
ねー、だから断食が何も食べないんじゃなしに、ものっていう、つかんだものを食べなくなったっていうね、神様の命として生かしてもらうという一念でいけるならね、何でも断食なんだと思えばね、(不明)。
‐結婚されたのはいつですか?何歳のとき?
何歳か忘れてしまった(笑い)。
‐三十二、三?
うーん、そうですね...(笑い)。
‐あのー、事実関係をいちおうきちんと(笑い)。
うーん、知り合いの人にね紹介されて、何人か名前をまず言ってもらったのね。何人か候補をあげてもらったんです。私はもう名前見てね、わかるもんでね。はい、この人と決めたんですけど。
‐指さされた方は迷惑ということはないんですか(笑い)?そんな勝手なとか。
たぶんね、キツネにつままれた感覚で結婚してると思うのですけど。もうすぐに式あげてますからね。
‐奥さんの方はいくつだったんですか?そのとき(笑い)。
一つ上なんですよ。
‐それで名前を見ただけでっていうのは全然会ってはいないときだった...。
私はもう会わなくってもだいたいわかるんです。名前だけでね。この人こんなんというね。波感じるというんですか。
‐で、奥さんの方からすると何をやってるかわけのわからない人ですよね(笑い)?その人から結婚しようよと言ってきたわけですよね。そのときにどう思ったんですか(笑い)?そのときにはすでに名の売れた人だったんですか?
有名でもなんでもないでしょ。お金はない、頭の毛は薄いしね。いいとこ何もないですよね。
‐それでいきなり嫁さんにすると言ってきたわけですよね。
(奥さんが何か言う)
‐ほう、目がきれいだった!いい話ですね。
だからデートみたいな形でね、私はやっぱり結婚しても贅沢させると言わなかったのね。私は清貧に甘んじて生きますから、ついて来なさいと(笑い)。だから私も収入がないでしょ。貯金なんか一つもないものね。だから結婚式の費用まで出してもらってますよ。
‐奥さんが向こうから指名を受けたときはどういう感じだったんですか?人づてにこの人があんたと結婚したがっているよと言うわけですよね?
(奥さん)会ったときに「決めてます」と言われて...。
‐初対面のときにそう言われたんですか?もう決めてますと。
ええ。
‐「私にも選ぶ権利はあるわ」とか(笑い)。いままで私がいろんな人に会ってきて、いい仕事をしている男にはね、いい妻がついてますよ。やっぱりただものじゃない妻がいるんです。ただものじゃない夫にはただものじゃない妻がついている。まあ、奥さんは夫に対して迷惑ばかりかけたっていうふうに思いながら25年ぐらい付き合っているわけですか。ああ、夫のほうからはいろいろ与えてくれる?ああ、いい夫婦関係ですね、それって。
私はもう最高のものを持ってますよ、悟りというね。だからそれを与えたいということで一生懸命ね。ほんとうの幸せはしっかり握ってますからね。この世のもんでなしに、永遠のほんとうの幸せをつかんでますからね。
‐まともに働いていない夫というものを持った妻は(ソクラテスの奥さんがソクラテスの頭に水をぶっかけた逸話を話して)そのようなことをすると思うんです。でも奥さんはちょっと違うんですね。たくさんのものを頂いていると思うんですね。
だから私の場合はね、もう必要なものは神様から直接頂きますでしょ。だから必要なものはちゃんと与えてくれるんですよ。私はもう命を神様に捧げているかぎりね、面倒見てもらわないと困りますよね。だからその点では私は自信があるんです。絶対面倒見てくださるというね。だから妻のことも子供のことも私一切何もしてないですけどね。もう全部神様が面倒見てくれるというのが、信念としてありますよね。だから子供のために何か買ったりせいへんのですよ。ほったらかしゆうかね。それでもちゃんとね必要なものは与えてもらって、立派に育ててもらっているというかね。
‐お子さんは何人いらっしゃるんですか?
二人。
‐後ろにいる子供がそうですか?ちがう?もっと大きい。二十歳ぐらい。
もう大学出てますから。
‐それで結婚してからは生活して職を持って働いているわけですよね?
そうです。
‐それは独身のときは稼いだお金はすべて平和運動に費やしているわけですよね。結婚してからは?
同じなんです(笑い)。結婚してからもね、生活のために使ってないんです。ぜんぶ平和運動に使ってるんです。
‐生活費は?
ないんです。ゼロ(笑い)。ぜんぶ使ってしまうんです。だから保養所で二人で働いててもね、お給料全部平和運動に使ってしまうんです。ないんです、ゼロ。生活費ゼロできているんです。
‐食べるのはどうするんですか?
いや、だからね、神様まかせというか、開き直っていますでしょ。だから必要なものは食べもんでもどっかから貰うんです。
‐その生活が24,5五年続いている。
もうずっとです。今までずっとです。結婚してからの方がまだゆるやかかもしれませんがね、今の方がもっと厳しい気持ちで生きてますけど。もうお祈りだけにね、もう徹底してね、飢え死にして餓死してもそれでいいと思ってますから。もし妻子がそれで餓死するんだったらそれでもいいと思ってますから。
‐ありがとう村の歴史というのはいつ頃から始まるんですか?
大阪から滋賀県に来たのは保養所の管理者でね、来てるんです。私の管理の仕事でね。だからそれもお祈りだけをしたいという気持ちが強くってね、お祈りの時間をたくさん取れる方がいいんで、保養所の管理だったら縛られないんでね。
‐結婚したときはどこだったんですか?
大阪。
‐それが何年間か結婚生活が続いてから、保養所の管理者になったのはいつぐらいのとき、4,5年後?
そうですね。もうちょっと後かな。23年ぐらい前ですかね。
―ということは1977年ごろということですか。23年ぐらい前ということは結婚して3年ぐらいですね。それで保養所の管理をやりながら、お二人でお祈りの日々日が続くわけですか?
それまでも私はずうっと二十歳からね、お祈りで人の病気治したりね、ずうっとしてるんですよ。もう夜中まで電話で頼まれて日に何十人てね。もう二十歳からずうっとお祈りで人助けをしてきてるんです。で、肺結核で強制入院させられたときもね、私が入院してるでしょ。絶対安静で寝てるでしょ。ところが相談者がどんどん来るでしょ(笑い)。要するに相談者が来て病気治してもらって助かっていくでしょ(笑い)。だから入院中は休憩させてもらったんかなという感じでしたけど。
‐病室でもやっぱりお祈りをするんですか?この人のためにとか。
私は自然体なんですよ。形がないんですね。もう心の中だけで、目を開けていてもお祈りなんですよ。みんな悟っているというね、無限に輝いているという(不明)けど、だいたいね、そういう感じなんですけど。ただプラス、プラスと思っているうちにね勝手に病気治っていくんですよ。
‐それで管理者をやってたのが10年くらいですか?
そうですね、はい。
‐10年ぐらいというと四十四、五になるわけですか?
その後ね、他の保養所に移るかどうかと言われたんですけど、もうその時点で職業全部捨てようと思ったんですね。平和運動のためのお金を生む仕事も全部捨ててお祈りだけに絞り込んだんです。
‐四十七、八ぐらいのときですね?
はい。そのときもひとつね、ほんとに餓死するかもしれんと思いますよね。家族全部餓死してもかまわんと思ったですよ。お祈りだけしててみんなが死するんだったらそれでいいと思ってね、ほれで全部捨てたんですね。それだけしかしないというね。
‐そのときに妻の意見というのは求められなかったんですか?
ないですよ(笑い)。相談も何もしませんよ。だから私はもうね、命を全部神様にあずけてるんで、神様の心が私の心に入ってきてね、決めてくれると思いますんでね。今がもう全部捨てきるチャンスと思ったんですね。
‐その子供がいる身である妻としては何か言いたいことはなかったんですか?それももうそのまんま全部受け入れる?(不明)...はあ...実例としてもすごいですね。
でも、その後がね、もう必要なものがとんとん拍子に全部整えてもらうんですよ。家にしてもね。お金も何もないのに家ができるわ、必要なものが全部集まるわでしょ。だからお金あって何かするんではないのね。何もないところで必要なものが集まってきていつのまにか出来上がってますよ。だからここも全部そうなんですよ。
‐職も捨てて保養所の管理人も辞めてからここができたんですか?
ここじゃなくて、もひとつ近江八幡の方に...。
‐それは何年ぐらいなんですか?
そこにも十年ほどね。ここは5年余りですね。
‐近江八幡でもありがとう村を名のってたんですか?
いや、名のってません。私はもういっさい自分を出さないで名も名のらず名無しの権兵衛でね、誰が何をしているのか分からんようにしてますから。
‐八幡の方でも人が来てたんですか?
はい。それであちこちへね。座談会でお話に行ったりね。全国飛び回ってましたから。
‐で、ここが手に入ったいきさつというのはどうなんですか?
その近江八幡のところをね、ちょうど阪神大震災の一年前ですよ。とつじょ地主さんが出て行けっていうね、もう気持ちがガラっと変わったんですね。不思議と。それがきっかけで、ここを与えてもらったような感じですね。だから、それも阪神大震災の大きい業を背負う役目だったように思いますけどね。軽くするために。だから私はもう予知的に、あの地震は日本の人口の半分は死ぬかなと思うくらいのね、凄い大地震がね起こる可能性があると思ってたんですよ。日本が真っ二つに割れてね、だからそれを神様がどれくらい軽く済ませてくれるか一生懸命お祈りしてた時期だったんですけど。
‐近江八幡とここは大分距離的に離れてるし、山越えなくちゃいけませんよね。ここに縁があったというのはどういう?どういう不思議が積み重なってここを手に入れることになったのか...。
まあお金がないですからね。まず現実的にお金も何もないですからね。安いとこが欲しかったんですね。過疎村、ただで入れるようなとこがね。それで過疎村を探そうというんでね、あちこち探してもらったんですね。
‐そしたらここがたまたま...?
これもまあ、みんな神はからいでなっていくんでしょうけど。ちゃんとここが手に入るように現れてきて。だからここもけっこうお金がかかったんですけど。土地代がね。それもすっと入ってきたお金がすっと流れていくような形でね、ちゃんと買えたんですけど。
‐どのくらい広さあるんですか?
これ実質六反ほど。
―六町?
六反。1800坪。
‐じゃあ、何千万とお金かかってますね。土地代だけでね。何百万じゃないですね。けっこうお金があったということですか?
だからそれが不思議ですよね(笑い)。不思議なのがそこなんですよ。だから建てるにしてもね、材料ようけいるじゃないですか。こんだけ建てるいうたらね。それがいつのまにか自然にすうっとね。廃材にしてもなんにしても集まるでしょ。だから短期間でさっと出来上がるわけでしょこれが。震災の復興みたいなもんですよ(笑い)。一年半ぐらいで移ってきたのかな、こっちへね。それから5年ちょっとたつものね、移ってきてから。
‐あのー「ありがとう」をですね、これは事実の話として5万回ぐらい「ありがとう」を言うといろんな奇跡が始まるという現象があっちこっちにあるんですよ。意外と奇跡と呼ぶしかないやつですね。全然治らなかったアトピーの子供が「ありがとう」5万回ぐらいになったら突然治っちゃったとか、いろんなことがある。で、ありがとうを毎日5万回言っているという話なんですけど、毎日5万回ですか?
もうずうっとですからね、二十歳ぐらいからある程度、三ヶ月間に限ってずうっと続けるとかね、そういう練習はしましたね。
‐ああ365日同じ状態でずっと続けるんじゃないんですか?
だからその期間区切って命がけでやるんですよね。一年間続けてとなると甘くなりますからね。三ヶ月だけはもうありがとうを唱え続けるとかね。そういう訓練をずっと二十歳ぐらいからね。だからそのときに不思議なことをいっぱい体験してますよね。雨に一年あわなかったとかね。雨がさっと止んでね、建物に入ったらさっと降ったりとかね。電車とかバスのダイヤが私に合わせて全部変わってしまうとかね。
‐その二つの例は聞いたんですけど、それ以外に現象を聞きたいんですけど。
それは一生懸命「ありがとう」唱えると病気なんかぱっと治るでしょ。必要なものはぱっと入ってくるでしょ。それはもう数えたらきりがないですよね。うーん、でもありがとうございますをね、一生懸命となえはじめて最初はそのおかげをねらう心がちょっとあるんですね。天気が続いて欲しいとか、病気が治って欲しいとかね。何でも願いをかなえてほしいというところがあるんですけど、そのうちにだんだん消えてしまうんです、そういうのがね。もういっさい何もいらないというね、もっともっと奥の姿を実感したいという。ほんとうの意味でね。だから現実を受けるよりもお祈りで神様の与えてくれる、すばらしいプレゼントを受ける方がもっと実質的に中身のあるものですね。だからもう今こうして話してても現実見てるよりも、輝いている方を見てるんですよ。みんな光り輝いているというふうにね。そっちの方を一生懸命受けてるんです。だからみんな悟っているんだという、みんな無限に輝いているというふうね。ありがとうございますって一瞬一瞬、新たな受け直しだけをさしてもらって感謝ばかりしているという感覚なんですけど。
‐たとえば一週間おいてくれとか、10日おいてくれとか言う人も来るんですか?
まあ、それはね、自由におこもりをしてもらったらいいんでね。来たい人は来てるし。ちょっといてもらってもいいし。一日でも二日でも。
‐実際長い人はどれくらいいたことがあるんですか?半年とか。そんな人はいない?
いろいろね。
‐一ヶ月ぐらいいる人はいますか?
十年以上とか(笑い)。
‐十年ということは、近江八幡以来ですか?
近江八幡のときもいてました。
‐はあ、ずうっといるわけですか。
そのー、もう一つ前のところでもね、保養所のところでも...(笑い)。
‐そこに住み込んじゃってる?
古だぬきとして(笑い)。
‐で、その住み込んじゃってるということは、別に住み込んだからと言って報酬があるわけじゃないんでしょ?
何もないです。
‐自分の生活費はどうしてるんですか?
何もないんです。
(別の人)自分のはバイトをして。
‐ほう、なるほど。バイトをして帰ってきてまたそこに住んで、いろいろ話を聞いて。(不明)出たり入ったりした人を含めて...五,六十名とか...。
そこまであんまり集めてはいませんのでね。まあ、建物が増えたらまたね、遊びに来られるのも多いですから。
‐まあこの辺にありがとう村ができるわけですね。まあ、あのー、テープをちょっと聞かせていただいたんですけど、すべてのものがすでに与えられていというお話をされたんですね。求める必要がないんだというやつですね。
ほんとうにそうですね。現実的にもね、先に先に与え続けてもらってお礼の方が遅れてるぐらいです。
‐ああ、なるほどお礼の方が遅れているという考えですか(笑い)。...でも、まあ「ありがとう」を今までどのくらい言いましたかね?回数を。
いあや、一億超えてますよ。表面的だけでもね。奥の方でももっと回数多いですよね。奥の自分のするお祈りがね。桁外れですよね。表面的には時間に制約されますけど、奥の自分は神通自在にいっぱい唱えられますからね。
‐で、お祈りをしているときにはお仲間の方も参加されるんですか?
ここでは朝、晩、お昼もね。
‐いっしょに「ありがとう」を言ってるんですか?みな黙とうですか?
まあ「ありがとうございます」と唱えてもらってるのが基本なんですけど。一時間でも二時間でも三時間でも(笑い)。まあ一人ひとりね、それぞれの祈り方がありますけど。だから私も「ありがとうございます」を基本にしてますけど中身が変わってきましたからね。だから私は今「ありがとうございます」と言うのは天照大神様が今ここにいらっしゃるという意味だというふうにね、かなりずっと前から感じているんですけど。天照大神さまというのは宇宙絶対統一神で宇宙の最高表現のすべてなので、宇宙が無限に無限に輝く姿で(不明)でてきてるという、それが天照大神様という受けかたしてるんですけど。その天照大神様が今ここにいらっしゃるという受けかたを一瞬一瞬してるんですけど。
‐あの、十年お付き合いをしている人というのは全部で合計でどのくらいに到達したんでしょうね?ありがとうの数。仮に計算すると...だいたい、この辺から何か状況が変わってくるというのがありますか?
最初の三ヶ月ね、命がけでやったとき、空気が光って踊っているの見えましたしね。その辺の草も木もなにも光り輝いて見えましたからね。三ヶ月でそうなりますから、周りが輝いて見えるというね。(不明)そのときは一日5万回以上でしょうね。ずうっとですからね。ほとんど睡眠時間とらずにですから。
‐それだけでもかなりの数になりますね。あの、奇跡がたくさん起きるというのも、あたりまえのようにたくさん起きてしまうと必要なことが全部起きるし入ってくるしということで一言で片付いてしまいますよね。
もう、全部が奇跡ですから(笑い)。
‐下の名前は何ていうんですか?
もう、私の名前は出さんといてください。
‐苗字まではいいんですか?
いいえ、もう名前は名無しの権兵衛で。こういう人がいてるというても名無しの権兵衛で。それなぜかと言いますとね、私も最近は特に感じるんですけど世界がひとつになるためにはね、神様だけを立てなければ駄目だというね。ほんとうは一人ひとりのね、本当の自分というのはその宇宙の大神様から(不明)善徳の無限に無限に輝く最高のものをね、みな平等にうけているんですよ。その自分から見たら肉体の自分とか魂の自分なんてとても至らないゼロ以下なんですよね。だからその無限に無限に輝いたものをうけている本当の自分が天照大神様にあたったときは無限に謙虚になるしかないね、すべて神様から与えられたお返しというね。だから自分の名前はいっさい出したらダメという、ただもう神様だけをたたえるというかね、してはいけないんだという気持ちが強いんですよ。それでないと我を出してね、いうたら中心争いをしたり、いろんな勢力争いになっていくでしょ。だからこれからは世界をひとつにするためには、ただ、もう宇宙の大神様ただひとつをほめたたえて感謝するだけがいいというね。そういう時代に入ってくるんじゃないかっていうもんですよね。だから過去の自分も今の自分も必要ないという、ただ神様の働きに当たるものを感謝でうけるだけが世界をつないでほんとうに一つにしてくださるんだというね。だから誰がこういう体験をしたから偉いとかすばらしいとかではなしに、そんなものは取るに足らないという、もっとすばらしいものが天からいつも無限に降り続けているというね。それも滝のように降っているんだというね。そこへ心を向けさへしたらみんな自然に悟っていける自分がどんどん現れて世界がひとつになっていくんだというのね。だから私はもう若いときからそうですけど、一宗一派を立てるなというね。こういう神様ね、指導もあるし、こういう一宗を立ててこういう教えを説きなさいという神様もいてたのね。でも私は何も立てないというのを選んでそれが正しいと思ってきましたし。こういう体験をするんでも別に自分のすばらしさを言うんじゃなしに、もうこんな生き方も数ある星ぐらいにしか思っていないんでね。もっともっと大事なのは神様の方へ心を向けるだけという、もっともっと無限に無限にすばらしいものを感謝さえしたら受けられるというね、そういう参考になればというだけなんで。
‐ちょっと講演してくださいとか、ちょっと行ってお話を聞きたいとかという頼まれごとは...。
それはね、私はもう全部お祈りが(不明)ですから、お祈り以外しませんので。
‐外から飛び込んできてこうやってくれって言われたら...
だから私もうこの世的なことはいっさいしません。お祈りしかね、ほんとに地球を救う方法もないし、みんなの本心を開いて悟らせる方法もないんで、それだけに全部捧げ尽くす覚悟で今してますんで。
‐まあ、話を聴きたいという人が来た場合には...
まあ、こういう形でたまには。
‐講演なんかもするんですか?
いや、だからそれはいっさい断るつもりで。それ以上にお祈りのほうが大事なんで。
‐そういう意味ではあんまり面に出てこない方がいいと。
はい。だからお祈りだけにね全部を捧げて。だからね、悟った自分が一人ひとり出てくる方が教えられて生きるよりもいいじゃないですか。
‐ありがとうございました。
ありがとうございます。