宇宙神ありがとうございます
8月の護摩焚きで河上さんがお話して下さった内容を載せさせて頂きます。

ありがとうございます
8月にまたお会いできて、嬉しいです。昨日の夜の10時半頃、先生からおまけ通達在りましたので、またお話できます。良かったです。

質問が一つ、来てましてね。「何も私、悪いことをしてないのに…」っていう質問ですけどね、何も悪いことしてなくて、普通に生活しているけど、私は普通に天国に行けるでしょうか?みたいな質問だったんですけども、これは、答えは、地獄に落ちます。これが、小人閑居して不善をなすっていうやつなんですね。神さまのおすがた、現世(うつしよ)の大自然のおすがた観たらわかるんですけど、与え切りに与え尽くすでしょ。太陽でも光を与え切りに与えて、平等にくる。雨でも、ごく自然に降って、一番下座に下座に流れていくじゃないですか。それは、与え切りに与え尽くすというすがたなんですね。神さまのおすがたというのは、常に与え切りに与え尽くすという偉大なものなんです。

みんな、この「宇宙神ありがとうございます」を祈ってますけども、この「宇宙神ありがとうございます」を小さく捉えているね、まだね。小さく捉えているから、さっきの「別に私、悪いことしてないのに、人に褒められてしかるべしなのに…」っていう感じの話になってくるのね。この世で何も悪いことをしてないというのは、悪なんです。マイナスなんです。それ、わかって下さいね。

一番大事なことは、神さまのお相象(すがた)に真似てですね、与え切りに与え尽くすという事なんです。何を与え尽くすかというと、真の神さま、宇宙神を与え尽くすというのが一番素晴らしいことなんですね。それは、一呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」を今、込めてもらってますけども、それが一番、与え切りに与え尽くす心の一番良いすがたです。だって、途切れなくお祈りできるじゃないですか。ただ、そこで「私、何も悪いことしてないのに…」っていう質問が何で出るか?お祈りしているのに、何で出るかということですけど、それはね、結局、「宇宙神ありがとうございます」が小さいの。小さいから、まあ言われているから、宇宙神ありがとうございますって呼吸に乗せておこうという感じでね、小さく捉えたままにしているんですよ。小さく捉えて、自分で縛っているから、「自分、何も悪いことしてないのに…」みたいになるんですね。「宇宙神ありがとうございます」を大きく捉えていたら、自分は真の神さま、宇宙神をすべての人に与え尽くしているっていう感覚になるんですけどね。そうならないというのは、まだ祈り言葉が小さい。小さいと祈りにならない。それは、何で小さいか?何で祈り言葉を小さく捉えてしまうかというとね、結局は、真剣さが足らないんです。自分は真剣なつもりだって言うかもしれませんけど、真剣さが足らないんですね。何で真剣さが足らないかって言うと、自分のことはもう横に置いといて、ほっといて、神さまの為にどうぞお使い下さいっていう投げ出し方が真剣さ。
完璧に投げ出したら、真剣って言えるのね。でも、ちょっと自分のことも何かしてほしいという願いが少しでもあると、もう真剣じゃないの。それだったら、どんどん崩れていくんですね。だから、ともかく「神さまの為にどうかお使い下さい」ってね、例えそれで自分が今一瞬で死んでも、呼吸が止まってしまってもいいですぐらいの覚悟がいるんです。そこまで投げ出したら、宇宙神というのが凄く大きくなる。大きくなるともう自在になっていくんですけどね。これ理屈じゃないんです。今、理屈で説明しましたけど、理屈で説明するとちょっといびつなんです。理屈じゃなくて、真祈りなんですよ。それは「どうか神さま、お使い下さい」って言う、真剣に投げ出すという真祈りなんです。「どうか神さまお使い下さい」と投げ出すのを決意して、神さまに示す為に、「宇宙神ありがとうございます」って込めるんです。それを込めているとね、「宇宙神ありがとうございます」が真(まこと)の悟りのすべてっていうのがわかります。或いは、真の神さますべて、宇宙神のすべてだってわかってきます。それ、理屈じゃないんです。だから、祈るしかない。今までの人は、なかなか祈りでわからないものだから、理屈でわかろうとして、余計崩れちゃうんですね。

ともかく、「宇宙神ありがとうございます」或いは「ありがとうございます」言葉もそうなんですけど、真の悟りのすべてが含まれているんです。え~って言う感じに湧いたら、まだまだ。あるいは、朝、目が覚める時にね、パッと目が覚めて、「宇宙神ありがとうございます」が出ているようだったら、かなりわかるんです。他のこと思っているうちは、わかんないです。それって、自分では投げ出しているつもり。自分では神さまの為にどうかお使い下さいって投げ出しているつもりだけど、どこかで生活が大事とかね、なんか自分を守っているの。無意識に。それが消えるまではね、呼吸に乗せて下さい。それで、ちょっとでも自分を守ろうとする意識は、先生がどんどん消しながら応援するからっていうことなんでね、今は、基本的には、先生が「宇宙神ありがとうございます」って仰っているのですから、言える人は「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に込めて下さい。勿論、込めにくい人は、「ありがとうございます」でもいいし、本心の16項目でもいいんですけど、先生がわざわざ「宇宙神ありがとうございます」を指定されている時は、素直に、できたら「宇宙神ありがとうございます」でやって下さい。自由を縛って言っているんじゃなくてね、やはり、師に習う、師に添うというのが大事だと思うんですよ。先生がおまけを下さっている。僕がしているのと違うからね。先生が神さまがおまけを下さるのだから、そのおまけを下さる言葉が「宇宙神ありがとうございます」って仰っているんだから、素直にそれを使える人は、使って下さい。どうしても使えない人は、自由にどの言葉を使っても、それは大丈夫です。ただ、どこまで真剣になれるかという真剣さをね、神さまに示す。神さまに示すというのも変な具合なのよね。神さまは全部わかっておられるからね。自分自身に示すんです。小さい自分で示して、どんどん大きい自分に入れ替えていくという、その言葉として、「宇宙神ありがとうございます」になります。

先々月、説明しました、「宇宙神ありがとうございます」の宇宙神の大きさというのは、現代科学でわかっている全大宇宙を、無限倍に集めて、またそれを無限倍に集めてという、何倍も無限に無限に無限にって重ねたね、そういう偉大な大きさなんですよ。だから、イメージでは掴めない。言葉では掴めない。だから、素直に先生の後押しに乗せてもらって、呼吸にね、ひたすら淡々と、「宇宙神ありがとうございます」と込めて下さい。その通りにお仕事ならお仕事、御三どんなら御三どんをして下さい。今されている、毎日やっている、当たり前のごく平凡なことが真祈りに繋がるんです。それを忘れて、滝に打たれて祈らないとダメだとかね、みんな勘違いしているんですよ。毎日の平凡な繰り返し、繰り返しじゃないですよ。毎日ちょっとずつ変わっていくんですけど、一瞬一瞬新たに。現世と言えども、一瞬一瞬新たにですからね。ちょっとずつ変わっていくんですけども、それでも平凡な繰り返しに飽きて、滝に打たれないとあかん。なんか川に入らないとあかん。海に入らないとあかんとかね。座禅組まないとあかんとか、色々変わっちゃうんだけど、それちょっと違うんですね。それは自力と言って、自分でどうこうしようという意識なんです。自力の自分と言うのは、小さい肉体意識の自分なんですね。そんな小さい肉体意識の自分で何をやったってね、地球一つ変わらない。だって、自分の意識で地球の裏側にすらわからないじゃないですか?行けないじゃないですか?。だから、自力ではどうしようもないんですね。かと言って、「先生お願い」「神さまお願い」って他力にしたってダメなんですよ。それは無責任なだけで、全然本物にならないですね。本物は何か?と言ったら、自分の自由意志で、「どうか私の命、神さまのお仕事にお使い下さい」って宣言することなんです。その宣言の裏書ですね。自分で宣言したことを間違いなくしますというサインとしてね、「宇宙神ありがとうございます」を呼吸に込める。その「宇宙神ありがとうございます」の宇宙神というのは、唱えるごとにどんどん大きくなるって、意識していればいいです。ただ言葉の「宇宙神ありがとうございます」じゃないってね。わざわざ先生がお作りになった、神さまと約束されてできた祈り言葉なんですね。だから、「ありがとうございます」ではみんなできなかったから、宇宙神って付いているので、付けて下さいね。必ず、みんな真祈りできるようになりますから。それは実観でわかります。人から言われてではなくてね。

何かここまでで質問があれば聞いて下さい。「宇宙神ありがとうございます」についてでもいいです。

無いですね。ともかく、「私、何も悪いことしてないのに…」っていうのだけはね、勘違いしないで下さいね。積極的に祈るから、本物のプラスなんです。何もしてないと言うのは、マイナスなんです。この世での善行ってあるじゃないですか。駅前での掃除とか、奉仕作業とかありますけども、それもマイナスなんです。プラスではないです。もし、一切人に教えずに、誰にも見られないところでしたらプラスにはなります。でも、それよりは、毎日のお仕事を、御三どんの中で「宇宙神ありがとうございます」と込めるのが、一番のプラスです。神さまの与え切りのすがたの象徴なんです。

先ず、心をどこに置くか?なんですね。心を真の神さま、宇宙神に置いてもらう為に、祈りを込めてもらっています。先ず、心をどこに置くかが大事なんです。心をどこに置くか?なんて言うとね、みんな迷うので、ややこしいことを言わずに、常に「宇宙神ありがとうございます」って呼吸に、その一呼吸に込めてもいいし、その五呼吸に分けてね、「宇宙神ありがとうございます」を込めてもいいし、ともかく、途切れないようにして下さい。もし途切れても、必要で途切れたんだからと言って、自分を責めないことです。みんな光ですから、自分を責めるということは、神さまを責めるということなんです。あ~、また自分こんなんしてしまった、なまけてしまったって、責めたらダメなんです。それを忘れないで。自分を責めると、本当に地獄に落ちます。

(質問者)
真剣になるには、呼吸ごとに「宇宙神ありがとうございます」と言っていれば、だんだんだんだん真剣になっていくのか?それとも…

(河上さん)  なります。

(質問者) それでよろしいんですね。それ以外の…

(河上さん)  要らん事を考えることないです。先生が後押ししているから、ひたすら素直に込めていればなります。込めている間にする作業は、全部神さまのお仕事になるんです。みんなね、自分で勝手に自分のやっている仕事は、つまらないと決めているの。わかる?
つまらないかすばらしいかは、神さまが決めること、それは。お祈りを込めていたら、全部素晴らしい仕事なんです。どんな良いことをしていても、お祈り込めてないやつは、偽物なんです。祈りに始まって、祈りに終わるって言う。

呼吸に「宇宙神ありがとうございます」込めていてもね、先ず祈ってから。例えば、お腹空いてる時、すぐご飯を食べようとするでしょ?お腹空いている時に、すぐご飯を食べようとしていると、これは思いに流されている。お腹がどんなに空いていても、先ず祈るの。するとね、何を食べたらいいかがわかる。そしたら、太らないし健康になる。ただ、お腹すいたら食べようとするでしょ?要らんものを食べて太るし、病気になる。或いは、風邪をひいたり、病気の時も一緒。お医者さんに行く場合じゃないんですね。病気になったら、先ず祈るの。そしたら自然に、どこの病院に行こうかとか、どこの接骨院行こうかとかね、勝手にわかってくる。そうして行くのが大事なんです。それを祈らずに病院に行くでしょ?つまらん病院行ってね、関係ないところをほじくられるの。先ず、祈りに始まって、祈りに終わるっていうのが大事なんです。それが大切なんです。

今まではね、先生が生きていらっしゃる頃は、みんな先生に頼っていたのね。先生を信じてないの。頼っているの。あーもう、こうなったら先生が何とかしてくれるやろう、となるわけね。先生が何とかしてくれるやろうというのは、求める心なんですよ。わかります?求める心は、先生助けようがない。だから、山作業というのをね、そういう質問があったんですけど、何で先生は、山作業をさせるようになったんですか?という質問があったんです。それは、与える心を創らす為なんです。普通のお仕事だったら、与える心になりにくいから、先生のところのお仕事で、奉仕作業をさせて、与える心、奉仕という与える心を創らせておくと引き上げれるから、先生は始めた。それなのに、山仕事して来てやった、しに来てやっているんやとか、畑仕事しに来てやっているんやという形で来ると、ちょっと値打ちが減るのね。

(質問者) さしていただいているんだ、という

(河上さん)  
さしていただくという、神さまの為にお使い下さいと来るのはいいんですね。先生が生きていらっしゃる時よりも、今の方がもっと極端に効くんです。何でかと言ったら、すべての人に先生が立っていらっしゃるから。もうちょっとのことでも一瞬で効くからね。だから、ある意味、先生が逝かれてからはね、みんな厳しい立場に立っているんです。ちょっとこれくらいはいいかなって言うので、グサーッと落ちるし、常に、祈りに始まって、祈りに終わる。例えば、息抜きしたい時でもね、ちょっとしんどいし、ちょっと休みたいわと言う時も、先ず祈る。そしたら、本当に休んでいい時は休みたいと思うし、祈ったら元気になって動ける時もあるし、祈って動けじゃないですよ。先ず祈るんです。全部終わる時も、先ず祈る。そしたら、もっと片付けて帰った方がいいのか、或いは、ちょっと準備体操して帰ったらいいのかとか、そういうのも、わかるんです。

(質問者)
【聞き取れませんでした】

(河上さん)
それもせずに、バーンと終わって帰ってくるから、疲れたとなる。

(質問者)
やる前と終わりには、必ず祈って。

(河上さん)
1秒でいいから、一言でいいから、祈る。そのうち慣れてきたら、それがもっとできますからね。その心が大事なんです。いつも神さまに心を向けているという姿勢が大事なんです。
思いに流れて苦しむのは何かというと、神さま以外のものに心を奪われた時なんです。神さまを忘れている時。食べ物にとか、異性にとか、お酒にとか、ビールにとかね。やっぱり酒飲まなあかんとかね。その時は、思いに流れて苦しむ。それを流れないように、いつも心を神さまに向け続けておく為に、呼吸に乗せるのよね。呼吸はいつもあるから。それがもう癖というか、自然になってくるとね、「宇宙神ありがとうございます」という言葉が要らない。神さまを指す指は要らない。呼吸がそのまま、真の神さまそのものと自覚できます。

そしたら、先生いつもね、祈り言葉を唱えておられなかったんです。祈りのご本尊の先生がね、「ありがとうございます」と唱えているのをあんまり見ないでしょ。それはもう、祈り言葉を超えておられた。この今の自分を観てほしいって、3年前の8月は、よく言われたんですけど、誰も見てくれない。そういうことなんですけどね。でも、それが今度は、皆さんが自覚できる。必ず後押しするからって、求める心を出すのはやめて、ひたすら神さまにお使い下さいって投げ出してくれって先生が言ってますので、素直に投げ出して下さい。それも、「何々する」って捉えることはない。

先ず「宇宙神ありがとうございます」と祈ることが、神さまに投げ出して、神さまのお手伝いになっていますから、先ずそれをして下さい。それをしていたら、自然にあれしよう、これしようって出ます。それをやれば、あっという間に変わっていきます。やっぱり、みんなお仕事していて、疲れるのは何でかと言うと、神さまの為にしていると思ってないから。何か自分の為にしているし、嫌やなぁーってどんどんどんどん疲れるのね。今お勤めになっている会社、つまらん会社って自分で思っていてもね、そこでやる、お祈り込めてする仕事は、神さまのお仕事なんです。それを忘れてはいけない。水って多い所にしみわたるでしょ。だからみなさんの会社のお仕事も、どんなお仕事あります、どれも大事な仕事なんです。本当は。でも、それはお祈りしないとわからない。大事な仕事とわからないと値打ちがない。だから、祈りを込めて、普段のお仕事をして下さい。そして、余裕があれば、どんどん村にお手伝いに来て、山仕事・畑仕事して下さい。お願いします。ありがとうございます

後質問あります?
なければ長くなるので、この辺でみんな暑いしね、終わりますけど、いいですか?
また、おまけがありましたので、9月まで楽しみにしています。今日はね、あっちの世界の方がお盆ですから沢山来ています。お帰りになる時も、祈りを途切らさずに、もう下の蛍の橋あたりまでは、押すな押すなのぎゅうぎゅう詰めなんですよ。萱原とかあの辺も、一杯集まっておられるのでね、お祈りしながら帰って下さい。お願い致します。
ありがとうございます
音声はこちらからどうぞ。

https://youtu.be/jvFZKl-HOnk

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