だ 平成25年4月7日 ありがとうございます護摩の時のお話

 今日は、本心のみんなに、神さまの世界から見た、全体像を少しお話しします。

 ありがとうございますには、真(まこと)のありがとうございますと”虚”の世界の”ありがとうございます”があります。
 ”虚”の世界のは、受けるだけの”ありがとうございます”です。
 真(まこと)の世界の”ありがとうございます”は一切を報い求めずに与え尽くすありがとうございますです。
 元々本心の世界の自分というのは、神さまと不離一体の、自由自在心なのです。
 それは、無色透明の姿形の無いものなのです。
 真(まこと)の神さまは、本心の世界という絶対の中から一大循環の相象(すがた)で、必要なものを的確に与え尽くすという相象(すがた)で、往相還相の相象(すがた)で循環しているんです。
 皆さまがたは、お一人お一人にこの真(まこと)の神さまの自由自在心というものをもらっているんです。
 この自由自在心で、自分の選び取った言葉を駆使することによって、その言葉通りのものを受け取ることができるようになっているんです。
 皆さま方、お一人お一人およそ自分という意識ある人すべて間違いなく神さまの自由自在心というものをもらっているんです。
 そして、その真(まこと)の神さまを皆さま方で不離一体に共有しているんです。
 つまり、本来、元からみんなひとつなんです。一体なんです。

 本心の自分、真(まこと)の神さまと不離一体の与え尽くすだけの自分というのは、真(まこと)の神さまを、真(まこと)のプラスを、一大循環の相象(すがた)を与えて与えて与え尽くすだけに生きるんです。
 この与え尽くすだけに生きると、与えた後にできた空っぽになった無色透明の自分のところを埋め尽くすように、絶対の中心から必要なものが流れ込んで来るんです。
 与えて与えて与え尽くすほど、完全な無色透明になって、よりよい新しいものがどんどん流れ込んでくるからよいんです。
 なぜなら、神さまに”虚”というのはないから、空っぽになった一瞬後には、すぐに流れ込んでくるのです。
 その相象(すがた)は美しいもので、無色透明になった自分の中を、真(まこと)の神さまが通り抜ける。真(まこと)のプラスが通り抜ける。一大循環の相象(すがた)が通り抜ける。・・・・と筆舌につくせぬ素晴らしさなんです。(冨士は晴れたり日本晴れ・・とはこのことをいうのでしょう)

 真(まこと)の神さまから受けるのは一瞬だけなんです。受けたら一瞬後にはすぐ放さないと、新たな受け直しが出来ないんです。絶対といっていいほど出来ないんです。それに、放さなければ、自分一人に必要な物しか受け取ることができなんです。
 でもね、一切を報い求めずに与え尽くすという与えっぱなしっというのは、与えながら受け続けるということが同時進行で起こるんです。
 なぜなら、一切を報い求めずに与え尽くすというのは、一切のすべてのものに与え尽くすのですから、一切のすべてが必要とするものが流れ入ってくるんです。
 この一切のすべてが必要とするものが流れ入ってくると、一切のすべてのものに対して必要なものを的確に与えようとすることができるんです。
 それも、真(まこと)の神さまそのものを一切のすべてに与えようとすることになっていくんです。
 だから、より一層必要なものを無限倍に増幅されて受け取ることができるようになっているんです。

 そうすると、一瞬だけの受け取りでおしまいじゃやないんです。ずーっとずーっと連続して無限に無限に続くんです。
 もー神さまの光は、この現世(うつしよ)の世界の1秒で地球を7周り半するぐらいのゆっくりじゃないんです。1秒で無限の彼方まで走るんです。だからだからたったの1秒で無限のものが流れ続けているんです。
 つまり、一切を報い求めず与えきり与え尽くすと、無色透明の自分の中を通して全体に無限に拡がり、それがさらに連続して無限に拡がり、常に常に無限の無限倍の必要なものを与え続けられるんです。一瞬後にはそれをまた無限倍にして受ける。それを又続けて又与え続けての繰り返しなんです。







 本心の自分はね、そういう風に、無限の無限の神さまのプレゼントを与え続けることによって又受け続けて、それをしっかりと心に確認しながら味わうことができる。もともとみんなそんな風に生きていたのです。つまり、本心の自分をしっかりと生きていたのです。
 
 それがあるときちょっとだけお祈りを忘れた時があったのね。真(まこと)のありがとうございますを祈り続けていたら大丈夫だったのにね。一瞬一瞬ありがとうございますで与え続けられていたら、循環は絶対に止まらないね。でも、お祈りを忘れてしまうと、循環を止めたことになる。そうすると、掴んでしまう。今、受けたものを自分の物としてあるとして掴んでしまう。循環の流れがさらに穏やかになる。また、掴みやすいから掴んでしまう。

 循環が速いとなかなか掴めないけど、循環が穏やかになるほど掴みやすくなる。過去を掴むということが、横線となって、つまりマイナスになっていくんです。
 そしてそれを溜め続けていると、”虚”の世界が生まれ来るんです。
 だから、過去の残像を積み重ねたのがこの”虚”の世界なんです。
 
 ”虚”の世界に落ちてからも同じよね。どんどんどんどん掴むのが上手になってくるんです。掴みもの一概に悪いと言えないんですね。しっかり掴んで、十分に味わっているとも言えるですね。
 
 でもあまり掴みすぎると、よくない。過去を掴むことで”虚”の世界に落ちるわけですが、又そこ
にプラスが少なくなって来ると、マイナスに見えてくる。そしてマイナスの言葉を使い始める。そうすると又、マイナスが溜まっていく。それを自分の責任でね、言葉通りになっているって受け取れたらいいんだけれど、今度は人のせいにし始める。他の周りの所為にすると、さらに大きくマイナスを積み重ねてしまうんです。それで”虚”の世界は、マイナスの言葉を一杯に積み重ねた世界になってしまった。
 
 特に”虚”の世界で一番の末端、マイナスの言葉を無限に一杯山盛りに積み重ねて押しつぶされた世界を、地獄っていうんです。
 地獄を大きく分けると八個の八大地獄になるんですが、その中で、八寒地獄と八熱地獄ってあるんです。
 そのさらに下、つまり、八熱地獄の一番端っこの下っかわを、無間地獄っていうのですね。
 そこはどんな世界か?本当にすさまじい恐ろしい世界なのよね。お互いが出会った瞬間に殺し合うのね。実際に獣の爪のように砥ぎ立てた爪でね、お互いを引っ掻きあうんです。相手の目をつぶし合ったり、全身を引っ掻き合ったり、八つ裂きにして、その上に粉々になるまで引っ掻きあって、殺し合う。
 もちろん、強い者が残るんだけれども、それより更に強い者が出てくる。そして最後に残った強い者には、地獄の牢番が鬼の相象(すがた)で、大きい鉄棒を持ってきてそれで叩きつぶして粉みじんにするってね、まあ、そういう風にして、殺したり殺されたり、それを繰り返すのね。殺されたら、死んで一瞬後には又よみがえって、殺し合いをして、殺されて、又よみがえる。その一瞬の間もないのが、無間地獄よ。
 これが、なぜ?どうして?生まれたか?。というとマイナスの言葉を無限に一杯積み重ねたからなんです。

 人を殺した罪っていうのは、なかなか消えないんです。一回殺すと又殺したくなるんです。殺されたら殺して仕返しをする。ますます、又、殺したくなる・・・・っていう風になるんですね。で、殺したから罰を受けて殺される、これもますます殺される業がつくんですね、だから、このカルマの流転、業の流転っていうのは、少しも減っていかないんです。殺す側も殺される側も増えるばっかり何です。どこへ行っても消えないですね。それはもう、業の流転というのは、雪だるまを転がすように、雪の玉を転がすように、どんどん表面にくっついて増えていくんですね。それがたまりに溜まった世界が”虚”の世界の一番低い無間地獄なんですよね。

 そしたら、いったいどこをどういう風にどう救うかということなんよ。
 如何に現世(うつしよ)という”虚”の世界でも、上の方は、幸せ一杯な人がたくさんいて大丈夫なんよ。”虚”の世界もプラスの世界はあるんよ。
 でも、一番下が、マイナスの言葉が積み重なってその重みで押しつぶされた氷河の表層ではなくて下の下の積み重なった固いところのようにマイナスの言葉に押しつぶされた大変な世界なのよね。だからこそ、神さまはそこを早く救い取りたい。

 人間の自由自在な意識は、その人の使う言葉のところへ行く。自分が選んで駆使する言葉のところへ、自分の意識が飛んで行く。(太宰府の飛び梅のように・・・・。)
 本当のプラスの言葉である、真祈りの”ありがとうございます”の言霊を使っている人は、真(まこと)の神さまの世界である本心の世界に住むんです。
 でもね、”虚”の世界でマイナスの言葉を一杯積み重ねた人は、その積み重ねたマイナスの言葉の中へ、自分の意識を置いてしまうんです。
 そしたら苦しいばかり、そこから早く抜け出したい。でも、抜け出す方法を忘れているんですね。だから、早く早く抜け出す方法を教えて、早く助けて抜け出すことができるようにしてあげないとね。いつまでもその世界から発せられるマイナスの響きに”虚”の世界全体が影響をうけるようになるのね。
 あのね、低い世界ほど時間が長く感ぜられるのです。だから、上の方から呼びかけるだけだと、下の方には通じないのよ。下の方が救えないのよ。
 上の方から神さまがいくら光を投げかけても、”虚”の世界の上の方はマイナスがどんどん消されていくの。でもね、下の方は、マイナスが圧縮されて積み重なっているから、一番最後になってしまうんよね。
 それを神さまが嘆かれて、深い深い深慮遠謀の元にこの肉体のあるこの世が作り出されたの。”虚”の世界の中に、あの世の縮図として、この世を神さまが用意したの。





 この世はあの世の万分の一の縮図よ。この世はあの世を救い出す為に神さまが用意された、縦の穴なんよね。まず、縦穴を掘ったんです。それで、下の方のあの世の低い世界を横穴を掘って救い出そうとするんですね。
 この世に肉体意識を持って生まれてくるすべての人は、あの世を救うための使命をもって生まれているんです。みんな、一回地獄に落ちて、自分の自由自在な本来の意識を、マイナスの世界に閉じ込めてしまった。
 それを助けてもらって、恩返しであの世を救うために生まれて来るの。
 
 だから、みんな勘違いしているんですが、罪悪深重 (ざいあくじんじゅう)罪深い自分を思い一杯の自分を救ってもらうために、この世にうまれてきたのではないいんよ。
 その反対なの。まことの神さまが”虚”の世界のありとあらゆるものを使って、地獄に落ちた人を、無限の愛と働きによって救い上げてきたの。もう、すべてありとあらゆるものを使って働いて下さっているのよね
 マイナスを身代わりに背負わす人もあり、それを消す人もあり、ありとあらゆる働きをね、一杯山盛り加えて初めて、地獄に落ちた人が、思いの無くなった、少なくなった世界へ引き上げてもらったのよね。
 だから、その恩返しに、もう一回、そういう苦しんでいる人を救いに立っているわけよ。でも、それを思い出す人がまだ少ない、忘れ去っているんですね。
 わかりますか?この世は、あの世を救うための縦穴ね。そうして救う色んな方法が、用意されている。例えば、みんな一人一人が、あの世の汚れを消すための洗濯機なのよ。あの世のごみを消すための、焼却炉。そのほかに色々あるのよ。あの世の空気を入れ換える扇風機とか。あまり下の方だと、やっぱり毒が一杯かもしれないから、又、臭いもきついから消臭剤の役割とかね。毒を消す中和剤とかね。色々用意されているよね。ありとあらゆるものを使って、”虚”の世界のマイナスを、この世を通して、神さまの世界に送り返すのね。そしてみんな消し去ろうとしているんですね。
 それはもー、ありとあらゆるものを使って、神さまは浄めをするの。水を使って浄めるのは、水の洗礼。火を使って浄めるのは火の洗礼よね。水でもね、神さまの世界から清らかな水が大量に流れ込んだら、みんなうすまって、それを神さまの世界に戻していったら、きれいになるのが早いの。でもその水が少ないと、溜めた水ではね、汚れを洗ってちょっときれいにするくらいしかできない。
 だからきれいな水を無限に一杯注がないとね。・・・・それでこのお祈り真祈りが必要になるのね。
 本心の自分が、神さまの世界の光を一杯注いだら、この世には清らかな水が、無限に一杯流れ込んで来る。そうすると、洗濯機でも無限の循環の洗濯機なの。この世のどこを探してもない、高性能の洗濯機になると、放り込んだら片っ端からきれいになって行く。焼却炉もおなじなんよ。神さま方から、強烈な光を注いだら、全部一瞬に燃やしてしまうぐらいの、高い温度の高圧の焼却炉ができあがるんよ。そうすると、片っ端からゴミを放り込んでも、消えてなくなる。
 本心の自分の自覚を持ってお祈りする人は、そう言う大きい働きに変わってくるんよ。



4,

平成25年4月7日 ありがとうございます護摩のお話・・・・4

 この世全体が本当は、大きい洗濯機であり、焼却炉なのね、一人一人もそうだけれども、全体もそうなのね。それで、ありとあらゆる”虚”の世界の高い神さまも仏さまも、菩薩さまも天使さまもすべての聖人方を総動員して協力して、あの世のゴミをどんどんどんどん、この世へ持ってきて、消しながら神さまの世界に循環させて、少なくしているの。
 だから、この世を通過するのは、あの世の万分の一のマイナスなんです。つまりこの世に実際に現れるのはゴミでいえば、焼却した灰ぐらいなんよ。この世でも汚れた水は、全部流さないで、下水の処理場や浄化槽で処理してから流すように、あの世のゴミや汚れを必ず万分の一以下に済まして、この世に現しているんです。
 
 この世で何もないとみんな忘れるのね、この忘れるというのが大切なんです。うあー大変と現実を掴むとどうしても又マイナスの響きを出して苦しむことになる。この世でも春の嵐が来たら、ああ大変って、ちょっとだけ現実を掴んでおもうよね。でも、あの世だと何万倍なんよ、異常気象も何万倍なんよ。だから、現れを掴んで又又マイナス思考でマイナスの響きを出して大変なんよ。それをあの世のかわりにこの世に現して万分の一に済ましたら、マイナスの響きを出すことが少なくなるね。
 この世に現れる台風も地震もみんな同じなんですね。もっとすごい状態のあの世の現れをこの世に現して万分の一に済まして軽く済ますのですね。

 だから、どれだけあの世を早く、浄め尽くせるか?・・・・これもね、人間が考えてできることじゃないよね。真(まこと)の神さまが、”虚”の世界のね、すべてのすべてを通して働いて下さっているから浄められるんよ。

 つまり、どんな人といえども必ず順番に救い上げてもらえる。ただね、人間の自由意志は無視できない。神さまは人間に絶対の自由を与えて尊重しているから、ある一定期間は、わがままを許してくれる。そういうわけだから、マイナスを自由意志で掴んで、地獄の下に下敷きになってしまっても、ある一定期間は、わがままを許してくれる。自由意志で勝手にマイナスを掴んで下敷きになっていてしまっても、ある一定期間は、まあ、まあ、がんばりなさい。という感じなんよ。
 でもね、それが長くなると大変だから、必ず、ある時期が来たら真(まこと)の神さまは救いに立ってくださる。
 ”今の時期が そう ””今よ””今なんよ”

 無限に無限に積み重ねて完全に流れの止まったものを、順番に大きい循環の流れの中へ、入れていくの。一大循環の中に入れたら全部きれいになる。神さまはその循環の中に入れる方法として、色んな方法、ありとあらゆる方法をとって下さるのね。
 だから、これからは、必要なのは、大事なのは、今までのような、ありがとうございますって感謝で受ける、受け方ではないのね。ただ、単純にプラスに見て、感謝で受ける生き方では、自分だけの救われになるの。

 みんな、まだまだ、生まれてきた本来の使命を自覚して救いに立っていないからね。
 自分の役目を忘れているよね。
 少なくとも菩薩の生き方がいる。すべて神さまのおかげですありがとうございます・・・・と恩返しだけに生きる生き方が必要になって来る。本心の自分を思い出して、本心の自分に戻って、本心の自分をしっかりと生きる。真(まこと)のありがとうございますを唱える自分に変わる!のが大切なの。

 だから、そうするためにはね。真(まこと)の自分とは何か?神さまと一体の真(まこと)の自分とはどういうものか?これ、やっぱり言葉でしっかりと、確認が必要になるの。
 まず、真(まこと)の言葉を駆使する自分。この真(まこと)の言葉を駆使するって大事よ。言葉通りの自分になるって、法則よね。自分で選んで駆使したところに、自分の意識が行くっていうのも法則よね。言葉通りのところへ心を向けるって言うのも法則よね。だからまず本心の自分は、真(まこと)のプラスの言葉をしっかりと駆使するっていうのが、一番、最初に来る大切なことなの。


5,平成25年4月7日ありがとうございます護摩の・・・・5

 次は、一切の我の無い無色透明の自分。之(これ)を自覚する。一切の我が無いっていうのはね、一大循環の相象(すがた)を掴んで、これが自分ってつかんでないっていう意味よね。掴んでたら、だらだらとだんだんと末端へ押し流されるよね。自分でもわからないうちにどんどん意識がちいさくなっていく。これ、”虚”の世界でのことじゃないのよ、一大循環の相象(すがた)の真(まこと)の神さまの世界でもそうよね。

 だからできるだけ掴まない方がいいから、ただながめるだけ、与え尽くすだけ。なんでも与えている限りはつかまないのね。与えるっていうのはいつも放しているからね。突き放しているから、だからこそ、与えているだけの時は大丈夫ね。我が無くなっていく。一切の我が無いのが、本当の無色透明の自分よね。

 神さまが自分の中を通り過ぎるだけ、常に循環するだけ。この二つ目が大事なのね。掴んでこれが自分ってつかんだのはみんな偽物よ!。
 これ”虚”の世界の話じゃないのよ。真(まこと)の世界でも、つかんだのは、小さい自分、偽物なの。
 一瞬でもね、これが自分だってつかんだだけ、本当の自分じゃないのね。

 本当の自分は何でも自由自在につかめる自分、でも本当は全体を受け直せる、つかまない自分。
 それが、”虚”の世界で過去の残像をつかんでつかんで、どんどん小さく、肉体が自分ってつかんだら、神さまの方から眺めたら大馬鹿者なの。
 そんなつまらない小さいものが自分じゃないでしょ?ってね。
 もちろん魂の自分ってつかんでもダメよね。あまりに小さいじゃない?
 本当の自分は、そんなちっぽけなものじゃないよってね。
 真実の世界、真(まこと)の世界でも、小さくつかんだら大損しているのに、”虚”の世界なんてつかむようなものじゃないのよ。そんなはかないむなしい、無から生まれて、無になって消えるような、はかないむなしい存在は、自分とは無関係だよって言ってくるよね。
 
 でもつかんでしまったら、これが自分って、思い込む。錯覚するのね。だから、言葉を間違ったのよ。つまらない言葉はいらないよね。マイナスの言葉はいらないよね。真(まこと)のプラスの言葉だけで、しっかりとその言葉通り受け直すほうがいい。

 だから、一切、もう之(これ)が自分っていらない。またこれが自分の物もいらない。

 自分にとって大事なのは、
   真(まこと)の神さまだけを受け続けること。
   真(まこと)のプラスだけを受け続けること。
   真(まこと)の大調和だけを受け続けること。
   本当の一大循環の相象(すがた)の愛のプレゼントを受け続けるだけ!・・・・・がいいのよね。あとは何もいらないのね。

  ずーっと永遠に、最高の神さまのプレゼントを受け続けられるの。
 与えて与えて与え尽くす生き方さえ取ればいい。みんなに与え尽くしたら、みんなからも同じように、与え尽くされて、循環してくる。そして絶対の中心からは更に大きいものが入れ子構造の形で循環してくる。
 だから、もー、絶対に幸せが崩れることはない。

 真(まこと)の自分って、どれだけ幸せか?。
 今は真(まこと)の自分に戻る時期、真(まこと)の神さまが戻して下さる時期になってるの。

 みなさんは、その先駆けよ。先に本心の自分に戻って、後から来るみんな全部を本心の世界に連れ戻していくためよ。

 これからね。地獄の穴掘りが始まるのよ。あの世でも一生懸命なのね。高い世界の人も穴掘りして、この世へ聖人(せいじん)を送り込んでくる。
 この世の人だけが働いているのではないよね。あの世の高い世界の人は、大勢が穴掘りを一生懸命やって、この世に光のパイプの役割をする聖人(せいじん)を一人又一人と送り込んで来ている。

 だからね、みんなね、自分に起こるいろんな欲望や運命を自分のマイナスなんて思ったら間違っているよ。そんな小さいものと違うんよ。



6 平成25年4月7日 ありがとうございますごまの・・・・6

 この世に生まれ来るだけでも、みんな高い競争率を通過して、自分で願って志願して出てきているよ。恩返しに生きたい、みんなを救いたいってね、この願いで生まれてきているのに、ちょっと中にゴミを溜めると、それを忘れてしまうのね。

 だから、まず自分の心の中の大掃除が必要だけど、簡単に済むことよ。お祈りをしっかりしたら、すぐ済む。後は、あの世を救うためのお祈りになる。自分の救われだけになってる時は、力がないけど、あの世を救おうという気持ちを起こしたときは、力が無限倍になる。神さまのバックアップ、後押し、応援が来るのね。必要な助けがいくらでも湧いてくる。与えてもらえるから、祈れば祈るほど、循環が速くなる。大勢がどんどんどんどん救われていくようになる。
 今の現世(うつしよ)の表面の地球だけを見ても、色んなマイナスの相象(すがた)が一杯ある。でもそんなことはたいしたことはないの。
 この世が本当のマイナスの極にあるような相象(すがた)をとっていると思うのは、間違い。どんなに大変に見えても、ザット見積もってまず地獄の万分の一以下よ。
 だから、この世の七難八苦なんて大したことはないよね。なにが現れても大丈夫よね。すぐに消せるものばっかしだし。

南アフリカのマダガスカル島、マダガスカル共和国では、今、バッタが異常繁殖して、国土の半分以上がバッタで一杯になっている。畑にできた穀物食料を全部食い荒らされているんでしょう?マダガスカル共和国は日本の1.5倍以上の面積があるものね。
 日本の国が全部、バッタで覆い尽くされたらどうなる?信じられないことよね。バッタで空が真っ黒になって、野菜や食べ物全部、食い荒らされる。大地に出来る恵みがあっと言うまに消えるよね。今、世界の食糧危機が大変って言っているよね。
 でも、あの世から観たらそういう相象(すがた)も万分の一の相象(すがた)なの。あの世の方が大変なの。
 餓鬼道の世界の食糧危機は大変よ。餓鬼道に落ちた人を救おうと思ったら、その程度で済まない。餓鬼道は、いくら食べ物を持って行っても食べようとして口に持って行った瞬間全部炎に変わるような世界だから、食べ物を援助しても食べてもらえない。そういうあの世のマイナスを消すために、この世は存在している。

 そしたら、何をしたらいいか?。表面を助けるのではないのね。あの世を助けないとだめだから。やっぱり、あの世のマイナスを真祈りのの光で消すしかないの。
 本当のお祈り。真(まこと)のありがとうございますの真祈りは、縦線だけのお祈りよね。真(まこと)のプラスってそうよね。
 新たなる無限の無限のプラスが無限に無限に一杯降り注ぐ。縦線のプラス。縦線だけというのは、循環して止まらないからね。無限のスピードで循環するから、縦線のプラスなの。だから、マイナスという横線を一瞬で消せる。全部”虚”の世界のプラスは、下の方のプラスほど、横線のマイナスになっている。横線の入ってしまったプラスをマイナスへ加えたらどうなるか?。横線が二重になってしまうのね。こうなると、一本の縦線のプラスだけでは、二重になったマイナスの横線は消せない。

 だから、この世の、”虚”の世界のプラスでは、横線のマイナスは絶対に消せない。積み重なるばっかりよ。この世のプラスがマイナスの上へちょっと積み重なって、マイナスが増えるだけ。これでは、本当にあの世のマイナスは消せないね。だから本心の自分が与える心になって、ありがとうございますを唱えたら、縦線だけのお祈り。これが絶対に必要になってくる。





平成25年4月7日 ありがとうございますごまの・・・・7

 ”ありがとうございます”と祈るとき、同じありがとうございますという祈り言葉だけど、本心の自分は与え尽くす心で祈るから、神さまのバックアップがあるから、縦線のプラスにかわるの。だから、一人一人祈る人の気持ちだけなの。愛の心で、与え尽くす心で、恩返しの心で、ってね。
 与える生き方で、ありがとうございますを唱えるだけで、真(まこと)の神さまの一大循環の働きがそのまま、自分の中を通り抜ける。”虚”のマイナスを大きく大きく、すっと消していける。
 
 だから今までのありがとうざいますが、どんどん変化している。みんなの気持ちが、どんどん本心側に立って祈れるおうに変わったの。どれだけ大きい自分がわからないよね。これも言葉でしっかりと、思い返すほど、その自覚が深くなるから。一瞬一瞬のお祈りが、どんどん本心側に立ったお祈りになっていく。一回祈るごとに横線のマイナスが消せるから。今までと違うのね。速い。本心に戻る、もう戻っているよね。本心に戻って、その自覚をしっかりと持って祈る祈り方に、どんどん変化している。

 その真(まこと)のありがとうございますを全部集めて、入れ子構造・相乗効果を起こすのが、この真(まこと)のありがとうございます護摩になった。今回からは、そういう護摩よ。今までは、受けるありがとうございますの相乗効果だけだった。
 これからは違うのよ。入れ子構造・相乗効果を起こす、真(まこと)のありがとうございます護摩に変化するのよ。
 
 だから、同じ光じゃないんよね。みんなを通して縁者に、無限の無限の光が行く。みんなの縁者の汚れが消えていく、消されて行く。だから、この世の春の嵐なんてへっちゃらよ。何があっても何もないの。(一切の現実は無視なのよ)
 これも”虚”の世界のあの世の清めの神さまである龍神さんよね、龍神さんがちょっと応援にお手伝いに来ているくらいの話よね。
 さあー一緒にお清めしましょうって寄って来ているよね。先に露払いをしてくれているって。これもありがたいよね。

 でも、護摩の炎が上がり始めたら、本当のお浄めが大きく行われる。本当の光があの世を浄めていくよね。だから、この世に何が出たっていいの。灰が出ようが、煙が出ようが、もう後ですーっと消してしまう。みんなこの世に出てきて、色んな縁者のマイナスを背負って消すためにって、苦労してきたけれども、もう護摩の炎は、そういうのをあっという間に消してしまう。あの世の縁者の分も、次から次へと片っ端から引き受けて消していく、大きい働きに変わる。そうでないとね。あの世の、この世の万倍以上のものは、消せない。
 本当の大きいプラスの働きをさせてもらう自分に変わってくるね。
 
 だから、お祈りが全然違うお祈りよ。

本心の自分のするお祈りは、
 真(まこと)のありがとうございます、っていうお祈り。
 真(まこと)の神さまを与えるお祈り。
 真(まこと)のプラスを与えるお祈りね。
 一大循環の相象(すがた)を与え続けるお祈り。
 真(まこと)の神さまを受け続けるお祈り。
 真(まこと)のプラスを受け取り続けるお祈り。

  になるのね。
  
  与えて受けて、全部自分の幸せにつながる。


平成25年4月7日 ありがとうございますごまの・・・・8

   与える喜びも与えてもらってみんなが受けて喜んでいる喜びも、全部自分のものになるのよね、だから、同じ幸せでも違うよね。小さい自分が受けて喜んだ幸せと比べたら、みんなに与えて、与える喜びって大きいよね。与える側から見たら、みんなに与えて、みんなが受けて喜ぶ喜びも自分のものなの。みんなが幸せになったっていうその幸せ、全部を自分の幸せに取り込んでいるね。
 だから、幸せが、やっぱり無限の無限倍になって絶対に崩れない。
 でも、ここまで神さまが護り導いてくさるって、本当に信じられないでしょ?思いの世界から抜けるだけでも大変だったのに、”虚”の世界から抜けて、本心側に立たせてもらって、”虚”の世界全部を救うためにお手伝いに使ってもらうって、こんな幸せは”虚”の世界のどこにもないよね。

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 ただ今から、真(まこと)の「ありがとうございます」護摩を始めます。
 真(まこと)の「ありがとうございます」の祈りは、本心の自分の祈りです。
 
 すべてに対して、真(まこと)の神さまを・真(まこと)のプラスを・一大循環の相象(すがた)、一瞬一瞬新たに新たに、与え続ける祈りです。
 すべてから、真(まこと)の神さまを・真(まこと)のプラスを・一大循環の相象(すがた)を、一瞬一瞬新たに新たに、受け続ける祈りです。

 真(まこと)の「ありがとうございます」の祈りこそは、究極の祈りです。
 真(まこと)の「ありがとうございます」の一言が、同時に「無限のありがとうございます」「無限の無限のありがとうございます」になっているのです。

 真(まこと)の神さまだけを・
 真(まこと)のプラスだけを・
 一大循環の相象(すがた)だけを・
 一瞬一瞬新たに新たに、大きく眺めて確認する祈りです。

 本心の自分は自由自在に立場を移して、
 高い立場に立っても低い立場に立っても、
 真実の世界の立場に立っても
 ”虚”の世界の立場に立っても、
 どの立場に立っても、同じように、
 真(まこと)の神さまだけを・
 真(まこと)のプラスだけを・
 一大循環の相象(すがた)だけを、
 与え続け、受け続けるだけです。

 真(まこと)の「ありがとうございます」は、最高最大のプラスの言葉です。
 すべて言葉通りに成るのです。
 真(まこと)の「ありがとうございます」を祈り続けたら、真(まこと)の神さまだけ、真(まこと)の神さまがすべてになるのです。常に真(まこと)神さまの入れ構造的無限の段階の、一大循環の相象(すがた)を与え続け、受け続けて、心ゆくまで味わうことができるのです。

 真(まこと)の神さまの一大循環の相象(すがた)が、一番大きい愛の助けです。
 一大循環の愛の流れの中に、自分を自分のすべてを置くことが、一番大きい助けを受け続ける秘訣です。
 一切の責任を自己に帰す、総責任者として、すべてを背負って、一大循環の流れの中に立つことが、与え尽くす愛に生きる本心の自分です。本心の自分に戻って、真(まこと)のありがとうございますを捧げ尽くし続けることが、真(まこと)の恩返し、真(まこと)のお手伝いになるのです。

 本心の自分の真(まこと)の「ありがとうございます」の祈りを、相結集して、真(まこと)の神さまのお手伝いに生きて、”虚”の世界で苦しむすべての人を救い上げるのが、真(まこと)の「ありがとうございます護摩」です。   平成25年4月7日